プロモ・アルテ ギャラリー
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■年譜


1932
 4月19日、フェルナンド・ボテロ・アングロはコロンビアのアンデス山中のアンティオキア州メデジンに生まれる。両親はダヴィット・ボテロ(1895-1936)とフローラ・ボテロ(1898-1972)、兄弟はダヴィットとロドリゴの2人。行商人であった父ダヴィットは、フェルナンド4歳の時に他界。母フローラは、父ダヴィットと同様、アンデス山中の小さな村出身。

1938-1949
 メデジンの公立学校とイエスズ会系の学校で初等・中等教育を修了。12歳の時、叔父の勧めで闘牛士養成学校に通う。16歳の時に初めてアンティオキアの芸術家達と共に展覧会に参加。地元の有力紙「エル・コロンビアーノ」の日曜版に投稿した記事と挿絵が掲載される。

1949-1951
 1950年、メデジンの隣町マリジャンのサンホセ高校を卒業。スペインの劇団「Lope de Vega」の舞台の背景画を描く。ボゴタに移住。レオ・マティス画廊で初めての個展を開催。

1952
 カリブ海沿岸の村トルーに滞在中、ゴーギャンとピカソからインスピレーションを得た油彩画<海の前で>を制作。この作品が第9回コロンビア・サロンで銀賞を受賞。賞金を獲得し、ヨーロッパに渡る。バルセロナを訪問後、マドリッドに滞在し、サン・フェルナンド・アカデミーに入学。

1953-1954
 夏の間パリで過ごした後、フィレンツェに移り、サン・マルコ・アカデミーに入学。イタリアのルネッサンス絵画に魅了される。

1955
 母国コロンビアに戻り、イタリアで制作した絵画を発表。グロリア・セアと結婚する。

1956
 夫婦でメキシコに移住。長男フェルナンドが誕生。<マンドリンのある静物>を描いている時、対象物の量感を変化させる表現方法を思いつく。
1957
 ニューヨークに渡航。ワシントンDCのパン・アメリカン・ユニオンにて合衆国初の個展に参加。

1958-1959
 ボゴタの国立美術大学で絵画を教える。「エル・ティエンポ」紙に掲載されたガルシア・マルケスの作品『火曜日の昼寝』の挿絵を手掛ける。マンテーニャを称える作品<カメラ・デリ・スポージ>を第11回コロンビア・サロンに提出。一旦審査委員会に拒否されたものの、批評家の激しい抗議で再審査が行われ佐い優秀賞を与えられる。ワシントンDCのぐれす画廊にて個展。ニューヨークのグッゲンハイム美術館に出品。ベラスケスにちなんだ一連の作品を制作。

1969
 ニューヨークのアメリカ大陸友好センターで油彩、素描画点を開催。パリのクロード・ベルナール画廊にて初の個展。

1970
 ニューヨークにて三男ペトロ誕生。バーデン・バーデン、ベルリン、デュッセルドルフ、ハンブルク、ビーレフェルトなどドイツ各都市の主要美術館にて巡回展。

1971
 パリのシテ島にアパートを借りる。パリ、ボゴタ、ニューヨークを行き来して生活。ニューヨークの五番街にアトリエをオープン。

1972
 ニューヨークのマルボロー画廊にて初の大規模な個展を開催。

1973
 13年間のニューヨーク生活の後パリへ移る。彫刻作品の制作を開始。ボゴタで回顧店(1949-1972年)を開催。

1974
 スペインで自動車事故に遇い、四歳の三男ペトロを失う。この時の悲劇的な出来事がそれ以後の絵画や彫刻における息子の像の制作の動機となる。

1975
 2番目の妻セシリア・サンブラーノと離婚。ギリシャ人彫刻家、ソフィア・ヴァリと出会う。

1976
 ベネズエラ大統領からアンドレス・ペロ勲章を贈られる。パリのクロード・ベルナール画廊にて水彩・パステル・素描展。トルソー、猫、蛇、巨大なコーヒーポットなど、様々なテーマの彫刻25点を制作。

1977
 クロード・ベルナール画廊の支援を得て、パリの国際現代美術市(FIAC)で初の彫刻展開催。

1978
 パリのアトリエをサンジェルマン・デ・プレに移す。

1979-1980
 ベルギー、ノルウェー、スウェーデン。アメリカなどで巡回展が行われる。アメリカにおける初めての回顧展がワシントンDCのスミソニアン協会ハーシュホーン美術館・彫刻庭園で開催される。バーゼルのバイエラー画廊で水彩・素描画および彫刻展開催。

1981
 東京と大阪で回顧展(1949-1981年)開催。ローマのガッビアーノ美術画廊で水彩・素描画展開催。

1983
 ニューヨークのメトロポリタン美術館が油彩画<コロンビアの舞踏会>を購入。「ヴァネティ・フェア」誌の創刊号で発表されたガルシア・マルケスの作品『予告された殺人の記録』の挿絵を手がける。イタリアのトスカーナ地方にあるピエトラサンタにアトリエを設置し、その後の彫刻制作の拠点とする。

1984
 <闘牛>を主題にした絵画連作の制作を始める。

1985 
 ニューヨークのマルボロー画廊とプエルトリコのポンセ美術館で、<闘牛>を主題にした油彩画25点を発表。

1986
 ベネズエラ・カラカスの現代美術館、ミュンヘン、ブレーメン、フランクフルト、および日本(東京、札幌、大阪、新潟)で巡回回顧点。

1987-1990
 マドリッドで回顧展。ミラノ、ナポリ、パレルモ、カラカス、メキシコで<闘牛>を描いた油彩・水彩・素描86点の個展。ロサンゼルス美術博覧会に彫刻を出品。スイスのマルティニーにてピエール・ジアナッダ財団が回顧展を開催。

1991
 ベルリン、フィレンツェ、東京のマルボロー画廊で個展を開催。<闘牛>をモチーフにした作品を中心に1949-1991年の回顧展をローマのエスポジツィオーニ宮殿で開催。

1992
 パリのシャンゼリゼ通りにて、31体の大型彫刻による野外彫刻展「Botero aux Champs-Elysees」を開催(主催:ディディエ・アンベール)。ボテロの作品がフランスの一般市民に大々的に紹介される。

1993
 ニューヨークのパーク・アベニューとセントラルパークのドリス・C.フリードマン広場にて、野外彫刻展「Botero in New York」を開催(主催:パブリック・アート基金)。アヴィニョンの教皇庁、モスクワのプーシキン美術館、サンクトベテルブルクのエルミタージュ美術館にて巡回展(主催:ディディエ・アンベール)。

1995-1996
 ベルギー・クリュショーテムのヴェラマン財団にて油彩・水彩・パステル画・彫刻展。カリフォルニア州ビバリーヒルズのサンタモニカ通りにて野外彫刻展「Botero in Beverly Hills」。高松を皮切りに、つくば、新潟、東京、いわきにて日本巡回展。
 イスラエル・エルサレムのイスラエル美術館にて大型野外彫刻展。ベルリンのブルスベルク画廊にて1949-1996年の回顧展。米ニュー・メキシコ州サンタ・フェのリバ・ヤレス画廊にて絵画・彫刻展。ワシントンDCにて大型野外彫刻展「Botero in Washington D.C.」(主催:Art Museum of the Americas、ニューヨーク・マルボロー画廊)。韓国慶州のソンジェ現代美術館にて個展。

 

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