プロモ・アルテ ギャラリー
GALERIA 2F, 5-51-3, Jjingumae,Shibuya-ku,Tokyo,150-0001 phone:03-3400-1995 fax:03-3400-9526

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ARTE CONTEMPORA´NEO DE CUBA
キューバ日本移民100周年記念事業
「熱い国からきたアート《キューバ現代美術展》」


期間:1998年7月18日(土)〜8月2日(日)
主催:キューバ現代美術実行委員会
後援:外務省、キューバ共和国大使館、日経アート、プロモ・アルテ
助成 :国際交流基金



■ 作品の購入をご希望の方は電話またはe-mailで
東京都渋谷区神宮前5-51-3 ガレリア2F
プロモ・アルテ
tel.:03-3400-1995
e-mail: info@promo-arte.com


メッセージ

キューバ共和国大使
エルネスト・メレンデス


キューバへの日本人移民100周年記念事業の一環として開催する「キューバ現代美術展」は、日本キューバ両国民間の関係緊密化のうえで、非常に重要な一歩となるものです。
実際、この重要な展覧会の実行委員会に結集された多くの日本の友人、ギャラリー、キュレーター、美術評論家、アーティスト、ジャーナリストの方々の系統的な努力によって、今日開催することができました。したがって、この展覧会で大勢の日本の皆様とキューバ美術との接触を可能にしてくれたのは、この実行委員会が中心になって、短い期間でしたが集中的に活動を積み重ねた結果であります。
今回、キューバ美術のほんの一部をご紹介できるに過ぎませんが、日本の観客の皆様には、世界中で評価が高まっているキューバ美術の多様な傾向と表現、質の高さを確かめていただけることでしょう。
キューバ美術のこの現象は、音楽、映画、ダンス、文学等すべての芸術でも同様であり、それは1950年代最後の年から始まったキューバ革命による深い社会変革の結果でありました。無料教育制度の普及、経済的格差の消滅、公正な雇用制度と社会保障制度の確立、国の隅々に至る芸術学校の設立が、この才能の開花を可能にしました。
実行委員会の方々をはじめ、皆様のおかげで、私たちは芸術を通じて緑国民をさらに強く結びつけるこの新たな素晴らしい機会をもつ事ができました。

出展アーティスト



Agustin Bejarano"Cabalgata" (1997) 120x79.5cm


Angel Ramirez "No abra kambio en el zistema daltas presiones"
110.9x79cm (1998)




 


Choco(Eduardo Roca)"Homenaje a Magrit"
(1997) 210x199cm






Belkis Ayon "Consagracion"(1991) 223x299cm
 


Eduardo Ponjuan
"Voyeur" 48x23cm, "Weather Report"53x39cm, "Kodak Timer" 74x28cm
(1995) Paper, Steel, Plastic




Eduardo Ruben "Mensaje"
(1994) 69.7x99.5cm



 


Flora Fong "Gallinera-l"(1997)
100x80.5cm Oil on Canvas



Jose Angel Toirac "Memorias-1996"
(1996) 90x60cm (1Pc.)xaPcs.



 

Kcho "Alexis Leyva Machado"
200x150cm





Miguel Lobaina Borges "Paraiso de Reyes"(1997)
187x74cm
 


Manuel Mendive "Sin Titulo"(1989)
65x101cm


Nelson Dominguez "Alejandro y la lsla Verde"(1998)
200x200cm Mixed media on Canvas



 



Piroh (Julio M. Garcia) "Laberinto de la Identidad"
(1997) 69.5x100cm




Raul Cordero"11 Diferencias-1,2"(1997)
123.3x160.3cm
 


Roberto Fabelo "Pequena Fantasia Cubana"
(1998) 96.5x66cm





Sandra Ramos "Prisionero del Agua"
(1997) 166.5x196cm
 


Sosabravo "Un senor muy viejo con unas alas enormes-ll"(1997)
99.8x80cm Oil on Canvas





William Hernandez Silva "MARTI "
(1997) 200x145cm


 


Zaida del Rio "Yemaya"(1997)
208x89cm

展覧会名:キューバ日本人移民100周年記念事業
「熱い国からきたアート《キューバ現代美術展》」

期間:1998年7月18日〜8月2日
会場:ヒルサイド・フォーラム(東京・代官山 ヒルサイドテラス)
主催 キューバ現代美術展実行委員会
後援:外務省、キューバ共和国大使館、日経アート
助成:国際交流基金

協賛:
(株)プレスキット、プロモ・アルテ・ラテンアメリカンアートギャラリー、G+Bアーツ インターナショナル、(有)レイシー、ツァイト・フォト・サロン、(株)シガークラブ、(株)マップインターナショナル アクロス事業部、ミウラートヴィレッジ、昭和コンクリート工業(株)、シダックスグループ、隅田商事(株)、ペルノリカールジャパン(株)、日本テレビ放送網(株)

協力:
(株)コシノジュンコデザインオフィス、チャリティーTシャツご購入の皆様、筒中プラスチック工業(株)、キャノン(株)、代官山ヒルサイドテラス、キューバ文化省、キューバ国家美術評議会、ウイフレド・ラム・センター、キューバ作家芸術家同盟

実行委員長:ペドロ・モンソン
実行委員(五十音順番、敬省略):
飯沢耕太郎、石田浄、石野明、石原悦郎、稲川敏之、今井俊満、太田昌国、加藤薫、加藤玲子、金澤毅、神尾賢二、倉部きよたか、コシノ・ジュンコ、今野峯生、坂川栄治、里見庫男、杉本静雄、鈴木茂、高橋美智子、谷内栄次、津田礼ニ、中曽根悟郎、中村早智子、永村元紀、中森敏夫、福田繁雄、古澤一洋、古澤久美子、正木基、松岡勇、峯村敏明、村上龍、渡辺皓司、わたなべひろこ、マーチン・ゴードン

事務局:
古澤一洋(事務局長)、古澤久美子、森川尚江、梶井真無、本間桃世、中村早智子(カタログ編集)、加藤新昭(カタログ編集)、森村あずさ、リー ヒョン

キュレーター:正木基

写真:森本利則、平野正樹(ラウル・コルデロ、ウイリアム・エルナンデス・シルバ)、桜井ただひさ(ベルキス・アヨン)ダイヤモンド・フォト(カタログ表紙)

デザイン:岩崎寿文

編集・発行:キューバ現代美術展実行委員会
連絡先:
ギャラリー プロモ・アルテ内(渋谷区神宮前5-51-3 Galeria 2F Tel.03-3400-1995)、
ギャラリーGAN内(中央区銀座7-2-22 Dowaビル1F Tel.03-3573-6555)

 

果てしないキューバの魅力
村上龍  Ryu Murakami(作家)

数年前からキューバの魅力について語り続けてきて、そのことがまったく伝わってないという思いと、確実に伝わっているという思いの両方がわたしにある。わたしは、キューバの魅力を紹介するためにエッセイを書き、映画を作り、またキューバ音楽のレーベル会社も作った。それらが実を結んでいるという思うときもあるし、これはまったくの徒労に終わるのではないか、と思うときもある。だが、今は、伝達とは本来そういうものなのだ、と思っている。
キューバというクに、そこに生きる人々、その音楽とダンス、絵画や宗教などからわたしが学んだことは数限りなくあるが、その中でもっとも大切なことは、伝達への意志、とも言うべきものだった。生き延びていくために大切な何かを知り、それを未知の誰かに
伝えること。
ルンバという有名な音楽とダンスがキューバにはある。キューバンルンバという社交ダンスとはまったく違うものだ。ルンバは、基本的に男女のペアのダンサーによって踊られる、非常に官能的な踊りである。わたしとキューバの関係はこのルンバによって始まり、今も続いている。ルンバは、遠い故郷のアフリカを思い、過酷な労働を生き抜き、誇りを維持するために、無名の黒人奴隷たちによって誕生した。ルンバを初めて見たとき、わたしが驚いたのは、その洗練された抽象性だった。ルンバは打楽器だけで演奏され、ソロとコーラスのついた歌とともに踊られる。まったく同じものがアフリカのヨルバの国に存在するのかどうかわたしは知らないし、知りたいとも思わない。わたしは伝統芸能には興味がないのだ。放置しても残っていくような伝統には人に勇気を与えるような力はない。未知で異質な世界に連れてこられた人間が、半ば不可能と知りつつ、何か大切なものを残し伝えるために伝統に抽象化し再構成させる、そういった作業だけが、真にグローバルな伝達力を持つのだとわたしは考えている。しかもキューバでは、それは偉大な一握りの芸術家の手によって成し遂げられたわけではない。名も無い黒人奴隷たちと、その遺産を受け継いだ民衆によって形作られてきたのである。
そのようなルンバの形成過程を思うとき、わたしは伝達の意味を考え直す。伝達というのは、伝え残すのがほとんど不可能に思えるものを、何とか伝えようとする意識的な努力だと、そう思うようになった。
キューバ人のアーティストたちは、伝達を何とか可能にするために努力を惜しまない。音楽家やダンサーや画家は信じられないような長く厳しい訓練を自分に課し、しかもそれを楽しむ。キューバの音楽を聴くとどうして気持ちがいいのだろう、と昔坂本龍一に聞いたことがあった。それはうまいからだ、と坂本は答えた。どうしてうまいのか?それは、練習するからだ。
キューバの国立芸術学校に行けば、決して快適とは言えない環境で、数時間同じステップを踊り続ける若者や、信じられない集中力でデッサンを続ける若者を見ることができる。伝えたいことは簡単には伝わらないという真実が、彼らのからだに刻み込まれているのだ。だから、彼らの表現は恐るべきスキルに支えられて、人間の情念とか苦悩といった近代芸術の陥弄からも自由だ。また彼らはその技術の高さと伝達への意志の強さによって、さまざまな芸術の様式を融合することができる。
たとえば我が友人であるネルソン・ドミンゲスの絵を見てみよう。彼の絵には、スペインの宗教画とアフロの土着的なモチーフが混在し、しかもそれらは反発しながら調和していて、強烈だが、やすらぎを感じる。そしてネルソン本人は葉巻を愛する穏やかな紳士である。彼は、彼の苦悩や情念をカンヴァスに定着しようとしているわけではない。彼は、わたしたちが生き延びていくときに必要な大切な何かを、正確にまた厳密に伝えようとしているだけなのだ。
キューバのすべての表現には、伝達の意志があり、それがその美しさと強さとすがすがしさの秘密なのである。

 

夢を歴史にする国、キューバ
コシノ・ジュンコ Junko Koshino(ファッションデザイナー)

南北のアメリカ大陸に挟まれたトルコブルーのカリブの海に、真っ白な砂浜と帝王椰子の緑が美しいコントラストを見せるキューバ。コロンブスに「人間の目が見たもっとも美しい島」と言わせたこの国に、私が初めて降り立ったのは1996年3月のことでした。
同じ島国でありながら、日本とキューバはいまでも地理的な距離、東西の冷戦のころに始まった思想と情報の壁に閉ざされ、キューバは私たち日本人にとって、現在でも、もっとも遠い国という感があります。そんな「遥かなるキューバ」へ、私が「行ってみよう」と思ったのは、パリ・コレクションのあとのことでした。緊張がほどけ、ようやく今年のバカンスがあちらこちらで話題になってきたころ、フランス人スタッフやデザイナー仲間がキューバについて、「あんないい人たちはいないよ」と話している内容が、追い風になったのです。日本からは遠いけれどもヨーロッパに住む人々にとっては、地理的にも歴史的なかかわりにも緑の深い国、キューバの魅力をパリで聞いて、私は「ファッションショー」をこの国でやってみたいと思いはじめたのです。「キューバでショーは面白いはず」だという心の底に描いていた漠としたイメージが、ふつと自然にかたちになったのだと思います。
パリのドゴール空港からハバナへ。この国で、誰もが試みたことのない外国人デザイナーによるファッションショーというものを実現させるために、私は機上の人となりました。
メキシカンエアラインの小さな飛行機から見える景色が、トルコブルーの海の色を、生い茂る砂糖キビのグリーンに塗りかえていくと、ホセ・マルティ国際空港が眼下に広がります。ジェットエンジンが止まり、外に出ると、昨日まで馴染んでいたパリの早春の風景も、照りつける強い日差しとアスファルトの滑走路の陽炎の中に溶けてしまいました。
南の暑い国が好きな私は、浮き立つような思いで空港をあとに”独立の道”と呼ばれる舗装道路を走り旧市街へ。
途中、信号で車が止まる度に、車のスピードが落ちて道行く人の姿が見えるたびに、私は歓声の声をあげたのでした。道行く男性も女性もとても素敵なのです。「かわいい人ね。」「ほら、きれいな人が歩いているわ」・・・・。
路上で友達同士話し込んでいる女性二人。パープルカラーのTシャツに真っ白に洗ったコットンパンツをはいて歩くわかい女の子。車窓から見える人々の姿がキッチュでかわいらしいのです。太った中年の女性もスパッツをはいて元気にどんどん歩いています。すれ違う人に何やら声をかけてもいるようです。カリブの空に広がる街の人々は、物資があろうがなかろうが、元気で明朗で、しかもチャーミング。
車を下りてホテルに向かう道すがら、私のような外国人にも笑顔を見せて挨拶してくれます。スペイン人と黒人と血が混じり合って生まれた”ムラート”と”ムラータ”。彼らの笑顔の純潔でなんと愛らしいこと。そして、その笑顔が私の心に染みるように響いてくるのです。心が近いのだと私は思いました。占領、侵略、革命、独立という激動の時代を生きて、キューバの民がつかんだものは、人の心と心の間に生じる壁を取り除く術だったのかもしれません。ニュースや人の話を聞いていた通り、この国にはモノもないが、人と人を隔てる壁もないのです。”ブエナス タルデス”と”アスタ マニャーナ”と笑顔で語る挨拶に、私は「笑顔の美学」を見た思いがしました。誰もが笑顔になれる島。これが、私の、キューバという国に対する第一印象でした。
キューバの首都、ハバナの繁華街は旧市街地と呼ばれています。19世紀、スペイン占領下に建てられた石造りの古い瀟洒なコロニカル風の建物が建ち並ぶ旧市街地は、世界の文化遺産の埋め尽くされています。翼をカリブの海に広げるようにして立つ天使の彫刻を冠したガルシア・ロルカ劇場、旧国会議事堂などの建築群。そこを、今を生きる快活なキューバ人が話し、寛ぎ、笑いながら生活しています。
決して幸せだとはいえない、この国の歴史の流れを見続けてきた建造物。壊れている、剥げかけている、雨風で汚れてしまったレンガ造りの壁…。私は、このイメージを、「キューバ現代美術展」のチャリティー用Tシャツのデザインにしました。
旧市街地を背にマレコン通りを海岸に向かって進むと、モロ要塞、カバーニャの要塞などにたどり着きます。メキシコから押し寄せる波以上に、時代という奔流を受け止めてきや要塞は、今もカリブ回をにらむ様にして立っています。トルコブルーの空と海、厚い岩でできた要塞に、私は人間の力を越えた何かを感じて、ここで私のデザインした衣装を着せたモデル達の撮影をしました。ただ長方形に切り抜かれただけの要塞の窓からカリブに沈む西日が入り、モデルと衣装を魅力的に美しく照らし出します。キューバの自然と歴史的な建造物は、人々に何かを与え、誰もをアーティストにしてくれます。
もちろん、自由な心が人をアーティストにすることを忘れてはいけないと思います。現在、世界的に活躍している画家達のほとんどは、貧しい家に生まれた人々でした。何もない家に育ち、長じる中で絵心に目覚めていきます。紙や画材がなければ枯れ葉に泥で絵を描いたりもします。やがて、才能のある子供は芸術学校に進学して本格的な勉強が始ります。高名になってからも、画家達は昔通り、使い古しの紙に飲みかけのコーヒーやワインで彩色し、素敵な絵をいとも簡単に描き、食事中の皆を楽しませてくれます。
現在、ハバナの旧市街には多くの美術館や画廊、工房が点在しています。道すがら偶然に見つけた版画工房で、チョコ(エドワルド・ロカ)さんの作品に出会いました。厚紙の上にニカワや石膏、糸や金属、布、砂などで、強烈なインパクトを感じました。そこにあるものを利用しながら、より高いアートへと完成させていく。、その力と自由な発想に驚かされました。キューバでは、全てが手作り、担い手は自分なのです。
3月にキューバに渡り、やれると核心を得た私は、1996年8月、ハバナの国営キャバレー「トロピカーナ」と「サロン・ロサード」でファッションショーを開催しました。これは、外国人アーティストによる初めての試みとなりました。
この試みの中で、私がやりたい、と考えていたことは二つ。一つはキューバの自然の中で、音楽がダンサーの肉体に宿り、洗練された美しい動きをも包み込むようなデザインを試みること。もう一つは、キューバの人々と新しいものを創造した喜びをかみしめたいということでした。後者はつねに私が求めていることです。地球上のあらゆる未知なる土地を舞台にデザインするということは、私が驚き、何かを見いだしたいというところに根ざしていますが、その土地で開催する以上、両者にとって新鮮な驚きと発見のあるものにしなければならないのです。
願いは叶って、ショーは、私にとってもキューバの人々にとっても新鮮な感情をよぶものとなりました。このショーの開催するにあたり舞台監督をつとめた世界的に有名な振付師サンティアゴ・アルフォンソ氏は、こう言ったのです。「いま、この瞬間までは夢。明日は歴史になっている。」と。これほどまでに明確に、しかも詩的な言葉を私は知りませんでした。夢と歴史と…。思えば、キューバとは、人々の夢を歴史にしながら歩んで来た国なのでした。今でも、キューバを思うとき、この言葉が胸に去来します。

キューバ現代美術展
正木基
Motoi Masaki
本展キュレイター、美術評論家、カサ・デ・クーバ主宰

(1)
 キューバ文化といえば、ルンバ、マンボ、チャチャチャうあサルサなどのアフロ・キューバ系の音楽がよく知られている。が、その他のキューバ文化についてはどれほど知られているか疑わしい。中でも、美術については最近まで、その概略すら知られずにいた。映画のポスターなどのキューバのデザインの評価については、1970年代には、スーザン・ソンタグによる論を掲載した<キューバ・ポスター集>(1972年、平凡社)が翻訳されるなどして認知されていたが、キューバ美術の紹介がなされるようになったのは、1980年代と言えるだろう。早くから、キューバへの観光的関心を示した<ブルータス>が、革命前から活動していたポルトカレーロ、カルロス・エンリケの作品を小さな図版で紹介し、キューバ美術におけるムラート(混血)という視点で、ヨルバの精霊を描く作家マヌエル・メンデイベヘの短い取材を掲載したのは、1986年のことだった。キューバ音楽の固有性とレベルが知れわたった1988年、キューバ美術はようやく第41回日本アンデパンダン展で版画家パブロ・ボルヘスが来日し、40作家120点が紹介された。マヌエル・メンデイベのまとまった個展(渋谷西武)とパフォーマンスとが行われている。
 1959年、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらがバテイスタ政権を倒し、キューバ革命を成就してから40年、キューバ美術はめざましい展開を遂げた。その輪郭が、ラテンアメリカとりわけキューバに深い関心を寄せる美術関係者や画廊、日本にキューバ美術を普及する試みを次々と行っているキューバ大使館などの尽力で、おぼろげながら理解され始めたのが、1990年代と言えるだろう。
 そして、キューバへの日本人移民100周年を記念して企画された本展<熱い国からきたアート キューバ現代美術館展>は、これまでのキューバ美術紹介の蓄積に、日本未紹介の作家と作品を加えることで、革命家のキューバ美術のおおよその傾向を、基本的にタブローによって、うかがい知ろうとするものである。全貌とはいわないのは、まだまだ紹介しきれない広がりと深まりとをキューバ美術が有しているからに他ならず、未だに輪郭というのが正確のように思われるからだ。が、この展覧会の経費調達を含めた基本的な企画運営がキューバに心惹かれた方々の無償の協力で成り立つこと、それが、ここで詳らかにする余裕はないが、キューバという国の魅力、吸引力の作用としてあることは、特筆すべきことだろう。

(2)
 革命後のキューバの美術教育は、音楽ないしは野球などのスポーツと同様、早朝にに才能発掘、小学校時代から大学まで無料で英才教育実践という振興政策を取ってきた。美術については、ラテンアメリカ最古の美術学校サン・アレハンドロが既に1817年に創立されてあり、革命後の1962年に上級学校としてENA(国立芸術学校)が、続いて1976年に大学院的なISA(高等芸術院)が創立される。よくイメージされる社会主義リアリズムなどではなく、もっと計画的に自由な表現を教育費無料、画材無償提供で追求させる美術教育が行われている。
 1962年にサン・アレハンドロ美術学校を卒業したマヌエル・メンデイべを筆頭に、革命後の教育制度の下から、ENAを卒業したネルソン・ドミンゲス、ペドロ・パブロ・オリバ(今回出品かなわなかった)、フローラ・フォン、チョコ(エドワルド・ロカ)らに、その後、ENAとISAをあわせて卒業したロベルト・ファレロ、サイダ・デル・リオらが加わり、1970年代キューバ美術の降盛を迎えることになる。
 この世代の作家達の特徴は、キューバ人としての自らの、そもそものアイデンティティを模索してきていることにひとつの共通点が指摘できる。別稿でリリアン・ジヤネス(ウイフレド・ラム・センター所長)が触れている通り、キューバの歴史は、複雑を極めている。ネルソン・ドミンゲスやフォンには中国の血が流れ、メンディベやチョコにはアフリカの血が色濃い。ほとんど奇跡の用に人種差別のないキューバでは、植民地や奴隷制などの歴史の暗部で脈々と形作られたさまざまな人種の血の混淆が生み出す多元性に、民族的自負や誇りを持っている。その一方で、自らの出自(ルーツ)にも、彼らキューバ人は拘泥する。彼らが作品で表出しようとしたことのひとつは、キューバ人としての多元性と自らの出自(ルーツ)への拘泥である。そこには、国籍を越えた存在としての自己と民族という自負がある。もちろん、その先鞭を美術においてつけたのは、よく知られる、中国人の血とアフリカの血が混淆したウイフレド・ラムの仕事である。が、ラムが西欧的なシュルレアリスムなどの語法でそのことを追求したとするならば、それだけに拘泥せず、キューバ固有の語法を見いだそうとしたのがメンデイべやネルソン・ドミンゲスらと言えようか。その意味で、彼らはラムの正統的な継承者と位置付けられる。
例えばメンデイベ。1980年代にアフリカを訪れてからの彼の作品は、アフリカ西部のヨルバ族の宗教的世界と生活習慣に、より強く影響され、アフリカ宗教の精霊的世界を幻想的、神秘的に描出したものといえる。単純化されて描かれる人物にしろ、植物にしろ、呪術的でエロチックでありながら、穏やかだ。それは、いわゆるアフロ・キューバの文化の一つの典型として描かれている。が、その制作によって、メンデイベは、アフリカの血を引いたキューバ人として文化的出自を確認している。同様に、ネルソン・ドミンゲスも、アフリカ宗教とそれを巡る生き物をモチーフに取り上げている。チョコが、キューバ人として、スペインからの西欧文化に支配されてきたキューバで、彼らの祖先がアフリカ文化、中国文化など血と共に持ち来つた文化をいかに受容し、キューバという島国で、いかに生きていくのかの関心からなっている。基本的に純血、単一文化と信じ込んでいた日本という島国とは逆に、キューバでは、自らの出自にかかわる文化は、常に、他の文化との融合や葛藤の中でアイデンティティが問われているのである。そこに、キューバ美術が西欧美術の語法に頼らず、自らの語法を見出そうとした根拠がある。キューバにおけるアフリカ宗教はメンデイべと関係するナイジェリアからのサンテリア(ヨルバ)、ナイジェリア南部からのアバクア、そしてコンゴ、ザイール、アンゴラなどのレグラなどにわかれている。これらの宗教が、今日、キューバの宗教問題にとどまらず、キューバ文化の根幹をなすものとして、以前にも増して積極的な再評価がなされている。美術も同様で、ラムに始まり、メンデイべやネルソン・ドミンゲスらに引継がれた主題は、連綿と今日的な表現として追求され続けている。そのうち、男性だけの宗教アバクアの神話に基づく制作で、アフリカ文化のより積極的な評価と共に、フェミニズム的な問題も提起するベルキス・アヨン、サンテリアの信者としての日常を送りながら、インスタレーションなどで現代美術としてのサンテリア芸術を花開かせているサンチャゴ・ロドリゲス(本展不参加)らの仕事が、1990年代の追求として見落とせない。

(3)
 本展の第二のパートは、1980年代後半以降からの動向である。キューバが社会主義であり、今もって、アメリカによって理不尽な経済封鎖をなされていることは、よく知られている。それゆえキューバにアメリカの情報は、流入しないかと言えば、そうではない。アメリカ個展で話題をまいた作家にはカチョー、ラウル・コンデロ、ベルキス・アヨンらのほか、今回は参加していない作家だがタニア・ブルゲーラ、カルロス・ガライコラ、サンドラ・セバーヨスらがいるし、ニューヨークを拠点にハバナでも活動しているエルネスト・プホールらのように国境を行き来している作家もいる。彼らのように、社会主義体制(ソ連)と資本主義体制(アメリカ)の対立に巻き込まれた政治体制下のキューバで成長した若手作家達の制作には、そのような緊張下にあらわとなったキューバの問題ないしは体制間矛盾に巻き込まれた問題を主題とする作家も多い。とりわけ、社会主義圏崩壊、それに伴う経済的な困窮によって、10万人余りが難民化せざるをえなかったキューバにとって、アメリカという存在は、否が応にも議論の対象とならざるをえない。単一な人種というアイデンティティを越えた多元的な人種としてのキューバ人ではあるが、アメリカとの距離は、現実的には眼前にフロリダ半島が位置しているとしても、精神的にはその国境は、いまだ限りなく広くて深いのである。カチョー、サンドラ・ラモス、タニア・ブルゲーラが、このことを作品の主題とするのは、難民として脱出しないわけにはいかないという、日本では信じられないような日常的な経済並びに物資状況下に置かれ、その解決の目処さえ見えないという体験を、1990年代前半にもったからである。美術の制作においても、その表現主題を無視するわけにはいかなかったからである。そのあたりの事情は、ソ連や中国の1980年代後半の展開と似た点がある。もっとも社会主義崩壊という憂き目に遭わずとも、国家という形態を取る以上、キューバの社会主義体制も国家としての矛盾をはらまざるを得ない。1996年5月に、ハバナを訪れた時、キューバの国立造形芸術評議会のディレクター、マルガリータ・ルイス女史は、「自分たちが住む世界が一番いい世界であるというわけではない。美術が社会の矛盾を批判することは健全なこと」と語ってくれた。サンドラ・ラモスやカチョーらの国境を巡る作品ばかりではなく、キューバ国内の政治、経済、文化、情報のありようを批評するホセ・アンヘル・トイラック、情報メディアとしての映画などのメッセージ性を作品化するラウル・コンデロ、スペイン文化、アフリカ文化、社会主義、そして、資本主義(ドル社会)に巻き込まれざるを得なかったキューバ社会の現状を風刺するペドロ・アルバレス(不出品)らの仕事の存在は、キューバにおける美術政策の、それなりの健全さを示していると言えるのではないか。もちろん、このような主題に基づく作品が、ドイツを初めとする西欧からのかなりの評価を受けていること、従って、ドル獲得に寄与しているというジレンマが背景にあるとしても、だ。ただ、さらに重要なのは、そのようなキューバ社会の諸矛盾が、世界に僅かに残された社会主義国としての矛盾というだけではなく、15世紀のコロンブスの西インド諸島到達(侵略)以来の歴史的矛盾が集約した世界的矛盾としてもあることを忘れてはならない。聖ゲオギリウスを登場させるアンヘル・ラミレス、砂糖(工場)を巡り、西欧とキューバの関係を問いかけるダグラス・ペレス、マレーヴィッチらの造形思考を制作に取り入れたエドワルド・ポンファンの仕事を、私たちのまなざしに織り込むには、このような広範かつ深遠、複雑なキューバ歴史からの視点抜きでは見えてこないだろう。
(4)
 キューバ美術は、西欧などの美術の動向に無関心であったわけではない。スペイン文化の一方的受容に始まり、第二次世界大戦前のウイフレド・ラムらに見られるように、西欧に渡り、キュービスム、シュルレアリスム、表現主義などの造形思潮を摂取する時代があった。革命前にもアントニオ・エリスら11作家のグループ<オンセ>に発表された作品は、アフリカからの影響と同時にピカソからの抽象的な影響を受けた制作がなされているが、革命後のキューバ美術は、西欧的な造形思考へのこだわりを希薄にしていったように見受けられる。そこには、カストロ政権の民族自決的な意識も介在しているのだろう。革命後のアメリカとの緊張関係という状況下、キューバのみならず中南米諸国を巻き込んでのラテンアメリカとは何かとういう問いかけと自立の希求。そして冒頭に述べた様に自らの出自へのこだわり。が、キューバ人種構成は、白人25%、黒人25%、ムラート(混血)50%(<キューバ共和国概観>、在キューバ日本大使館、1996年)と言われている。別の統計ならば、白人60%、黒人並びに混血33%(カルメン・R、アルフォンソ・エルナンデス<キューバガイド>、海風書房、1997年)と白人は最も多い。この白人と混血の多くには、スペインの血が受け継がれている。従って、キューバが西欧的な文化を血として、継承していることも不思議ではない。キューバの血はスペイン、西欧の血であり、アフリカの血であり、またそのほかの血でもあるのだ。このように、キューバ美術の成り立ちを見てくるならば、西欧的な美の価値基準も血としてもちながら、それも相対比していった価値基準の存在を私たちは知るだろう。日本キューバ間の美の価値基準との相違から見えてくるもの、そのことに私は関心を持ちたい。

 

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