プロモ・アルテ ギャラリー
GALERIA 2F, 5-51-3, Jjingumae,Shibuya-ku,Tokyo,150-0001 phone:03-3400-1995 fax:03-3400-9526

トップページ 活動内容 リンク 過去の展覧会 ギャラリー作家 貸しギャラリー ショップ ショップ


 


ラテンアメリカ美術研究者 加藤薫先生を偲ぶ
「ラテンアメリカの芸術と書籍展」


会期:2014年6月12日(木)〜7月1日(火)
会場:プロモ・アルテギャラリー 2階全展示場
時間:11:00〜19:00 (最終日のみ17時終了)/月曜休廊
企画:プロモ・アルテ ラテンアメリカンアートギャラリー
協力:加藤千恵子(ご遺族代表)、 金澤毅(美術評論家)、高村幸治(岩波書店)、
藤原敏雄(ガレリアリブロ)、本間桃世(タジェール・プレセンテ)、
正木基(casa de cuba)(50音順)





■ 作品の購入をご希望の方は電話またはe-mailで

東京都渋谷区神宮前5-51-3 ガレリア2F
プロモ・アルテ

tel.:03-3400-1995
e-mail: info@promo-arte.com




ネルソン・ドミンゲスとの歓談
ガレリア・オフィシオスにて 2003年

加藤薫先生とプロモ・アルテの出会い


1998年の7月に、キューバへの日本人移民100周年記念事業の一環として、沖縄・東京・福島で開催した『キューバ現代美術展』の実行事務局としてプロモ・アルテ・ギャラリーが携わった時に、実行委員の一人として参加していただいた機会に、はじめてお会いしました。
それから約16年という長い間、加藤薫先生に美術評論や書籍の出版、また文化事業面においても貴重な助言や提言などをいただき、多大なご協力をいただきました。 加藤先生は、長きに渡り、メキシコ美術の研究をはじめ、ラテンアメリカ諸国との文化交流の発展に貢献されてこられました。その都度、研究・調査結果を書籍にまとめ、貴重な出版物として数多く残してくださいました。プロモ・アルテでも、先生の著書を展覧会場やウェブサイトでご紹介させていただきました。

2000年 アフロ・キューバ美術の世界 21世紀アートの焦点
2002年 著書『キューバ★現代美術の流れ』刊行(発行:プロモ・アルテ ギャラリー/ギャラリーGAN)
2003年 アベル・バロッソ「第3世界のインターネット・カフェ」展
2005年 グスタボ・ヴェレス 個展
2006年 ロベルト・ママニ・ママニ「“パチャフジ” アンデス母なる大地の源」展
2008年 日本コロンビア修好100周年記念コロンビア×日本・現代アート「TODAY」展
2011年 エリカ・ナカソネ「ネオ・バロック」展

ご生前の厚情に深謝いたしますと共に、加藤薫先生のご功績を偲び、謹んで追悼の意を表します。

プロモ・アルテ ラテンアメリカン・アート・ギャラリー
代表 古澤 久美子

 

会場風景



会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景


会場風景

追悼のメッセージ




故加藤先生の著作

 

加藤薫先生を偲ぶ会

この度、ラテンアメリカ美術研究者の加藤薫先生が急逝されたことを偲ぶ、特別企画展を開催いたします。また、ご遺族代表の加藤千恵子様(ご夫人)を囲んで「偲ぶ会」を下記の通り開催いたします。先生とご縁のあった多くの方々にご参加いただきたくご案内申し上げます。

日時:2014年6 月14日(土)15:00〜
会場:プロモ・アルテギャラリー 2階


クリックするとフライヤーがご覧いただけます。⇒

  nobaranobara
 

加藤薫氏を悼む

金澤 毅(美術評論家)

「加藤さんが亡くなりました」という電話を突然貰って、「えー、どこの加藤さん?」と思わず聞き返してしまったが、まさかあの元気な加藤薫氏が当人だとは思いもよらなかった。聞けばまだ64歳で、大学の定年前でもあった。この1年ほどお会いしてなかったが、ALSなどという大病に見舞われていたとは。

彼は日本では数少ないラテンアメリカ美術の研究家で、私とはよき相棒でもあった。つまり、彼はメキシコの大学で美術とスペイン語を学び、カリブ海地域と中米の芸術文化の研究者として中南米の北半分を視野に入れたが、私の方はブラジル、ラプラタ地域及びアンデス諸国の芸術文化に関わり、中南米の南半分を自分の活動地域として活動してきた経緯があった。こうしたことから私は彼の専門分野であるメキシコやキューバについての著作からいろいろ学ぶことができたのであった。

彼の特色は、国際基督教大学での語学と国際感覚、Bゼミスクールでの現代美術、そしてメキシコの大学でのラテンアメリカ美術の研修といった絶妙な組み合わせがもたらした日本とラテンアメリカ間の架け橋的存在である。こうした人材はいまの日本には殆ど居ないと言っていいだろう。飾り気のない性格と誰とでも仲良くなれる気質は多くの人から愛された。間もなく定年を迎えて、これからいろいろな研究活動が期待できるというとき、忽然と姿を消してしまったとはまことに残念というしかない。




加藤薫先生との想い出

藤原 敏雄(GaleriaLIBRO)

先生の訃報を知らされた時は、愕然となりました。亡くなる十日前にお会いし、難病を患っていたとはいえ、先生のお元気な声や顔の表情に安心していたところでした。

メキシコ美術に対する幅広い見識と独創性溢れる研究思想で、大著≪ディエゴ・リベラの生涯と壁画≫を2011年の淺春に加藤先生は岩波書店から上梓しました。その後、難病を患いながらも、大学での教鞭、海外調査、執筆、講演会と、精力的に活動をされている姿から、先生の持つバイタリティが病に打ち勝っていると信じていました。

加藤先生が書き下ろされたキューバの現代美術史を編集出版する仕事が、先生との出会いでした。この書下ろし原稿は≪キューバ☆現代美術の流れ≫として2002年にプロモ・アルテギャラリー/ギャラリーGANから刊行されました。

先生は民衆アートに研究の基軸を置く研究者でした。美術の主流から離れたチカーノ(メキシコ系アメリカ人)たちのアートを取り上げた≪21世紀のアメリカ美術 チカーノ・アート―抹消された<魂>の復活≫(明石書店、2011)、メキシコの民間信仰である骸骨の聖母サンタ・ムエルテを図像面から解析した≪骸骨の聖母サンタ・ムエルテ 現代メキシコのスピリチュアル・アート ≫(新評論、2012)を書き上げています。そして、闘病のなか、キューバ国民や世界の民衆から愛されたエルネスト・チェ・ゲバラのイコンを考察した≪イコンとしてのチェ・ゲバラ 〈英雄的ゲリラ〉像と〈チェボリューション〉のゆくえ ≫(新評論、2014年2月)を上梓しましたが、同書が先生の最後の著作となりました。

先生がこれらの著作を執筆されるために必要とされた海外出版物資料の入手のお手伝いができたことや、先生がアドバイザーとして関わられた『メキシコ20世紀絵画展』(世田谷美術館、2009年)に僅かばかりですが、参加できたことは嬉しく思っています。
 
また、先生の著作から飛び出して、チカーノ・アートとサンタ・ムエルテの展覧会をさせてもらったことは自分にとり勉強になりました。 先生とご一緒にやりたかったいくつかのプロジェクトがもうできないかと思うと残念でなりません。いや、加藤先生ご自身が一番悔しい思いをされていることでしょう。

加藤先生、今頃はディエゴ・リベラとフリーダ・カーロと会って、彼らとダンスを楽しんでいますか?
ここに深く哀悼の意を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。




加藤薫さんと「歩く」こと。

正木 基(美術評論家)

(1)加藤薫さんとの一番の思い出は、2000年の第7回ハバナ・ビエンナーレ、2003年の第8回同展を見るため、一緒にハバナ市街を歩いたことでしょう。前者の前には『ラテンアメリカ美術史』(1987年、現代企画室)を、後者の前には『キューバ現代美術の流れ』(2002年、プロモ・アルテ・ギャラリー、ギャラリーGAN)を既に上梓されていました。筆者にとっては、ラテンアメリカ、キューバ美術の‘先生’の個人授業を歩きながら受けるという非常に貴重な時間でした。

とりわけ第7回展の際には、モロ要塞のカフェでアベル・バロッソのカフェインターネット・テルセーロ・ムンド(第3世界のインターネット)の展示に二人して感嘆、既知の作家共々セルベッサを飲みながら、話し込んだことは懐かしいひと時です。帰国後、やはり同作品に共感していた本間桃世氏と三人で、彼の日本への紹介を企画、バロッソ氏から作品を一点ずつ購入、その支払いを渡航費、滞在費に宛てていただき、プロモ・アルテ・ギャラリーに企画(会場)をお引き受けいただくことで、バロッソの個展が実現出来たのは2003年。それが、数少ない加藤さんとの仕事となってしまいました。
当初は加藤さんをアカデミシャンと思っていたのですが、ハバナ市街を共に歩きながら、フレキシブルかつアグレッシヴに多様なことに関心を持たれる方だとわかりました。客のいないカサ・デ・ラス・アメリカスの展示室でジャン・ミシェル・バスキアの遺作を批評しあったり、女性だけの室内弦楽団Camerata Romeuの‘常打ち’教会のサンフランシスコ教会でのコンサートにお誘いしたり、ヘミングウェイ生誕百周年記念展を実施した加藤さん既訪のコヒマルを案内していただいたり、また、帰路のメキシコ・シティーでもCDなどを一緒に探し回ったりしたこと等、次々に思い出されます。

(2) その頃から加藤さんの研究が、自らの関心を様々な漁法の如き方法でなさっていることに気が付きました。そのひとつは、ある研究対象のパラダイムを確定すべく、投網を投げかけるようにその全体像を輪郭づける事。歩き見ることに始まった『メキシコ美術紀行』(1984年、新潮選書)から『ラテンアメリカ美術史』、『キューバ現在美術の流れ』などの著作は、彼がラテンアメリカの文化状況を調査するための、まずもってのマッピングだったのでしょう。そして『メキシコ美術紀行』を端緒に、底びき漁やすくい網漁のような方法で『メキシコ壁画運動―リベラ、オロスコ、シケイロス』(2003年、現代図書)が、さらに一本釣りで『ディエゴ・リベラの生涯と壁画』(2011年、岩波書店)へと対象を絞り込んでいく軌跡は、マッピングに始まる多様な漁法=調査法による研究成果だったと思います。

この『ディエゴ・リベラの・・・』は、フリーダ・カーロばかりがもてはやされている日本に、カーロ同様に重要な作家ディエゴ・リベラの全生涯・全画業を紹介するものでした。『メキシコ美術紀行』で、対象を探し見るために歩き始めた加藤さんですが、壁画にターゲットを絞り、中でもリベラの壁画に重点を置き、聞き取りやティナ・モドッティーやエドワード・ウェストンのリベラの壁画写真などの資料も捜し歩くなどして『ディエゴ・リベラの・・・』が成り立しました。が、対象を定め、絞り込む一方、その対象に関係するあらゆる事どもに、今度は船曳網を掛け流すが如き調査を行うのも、加藤さんならでは、だったのでしょう。例えば、メキシコ・シティーのロドリゲス市場のモニュメント製作中のイサム・ノグチとフリーダ・カーロの関係についての記述などは、イサム・ノグチの評伝にまさる調べと記述でした。リベラの画業を美術史的に辿るだけでなく、メキシコの歴史、政治、社会状況など丸ごとの中に位置づけ、解釈した加藤さんは、フリーダ・カーロの、波乱万丈の女性の生き方ばかり先行する日本の美術界への、メキシコ美術とは何かという大きな回答からの異議申し立てのように私には思われるのですが・・・。その後書きでは、オロスコとシケイロスの執筆を希望されていました。恐らく『ディエゴ・リベラの・・・』の執筆のための調査と並行して、この両者に向かっても歩かれていたのでしょう。1970年代初めに、大判の『平凡社版 ファブリ世界名画集 シケイロス』の迫力を持った図版が、メキシコ美術を知る最初だった筆者にとって、今さらながらに、加藤さんのシケイロスについての著作で、多くを学びたく思ったものでした。それが叶わなくなったことは、かえすがえすも、無念でなりません。

(3)その一方で、ALS(筋委縮性側索硬化症)の病魔と闘いながら書き上げ、亡くなる僅か前に上梓された『イコンとしてのチェ・ゲバラ』(2014年、新評論)の帯に、自ら「民衆図像学」と定義づけた一連の仕事が、加藤さんの、新たな仕事として世に出され始めていました。とりわけ、その前作『骸骨の聖母サンタ・ムエルテ』は、書籍や映像の中を歩き回り、そこでの手掛かりや関心に導かれるまま、メキシコ各地や中南米を歩き廻り、幾多の宗教的表象に出会いながらの体系化を試みつつ、民衆の欲望(の歴史)に迫り、注目されるものでした。これらの仕事は、リベラのようなファイン・アートから一転、ラ米固有のヒストリカルなビジュアル・サブカルチャー、名も無き民衆の想像力の視覚表現への着眼と関心に基づくものとみていいでしょう。日本ではほとんど踏み入られていない研究領域での調査でもあり、まさに、加藤さんの面目躍如たる仕事と思われます。

このような民衆レベルの様々な表現への加藤さんの関心の所在に気が付いたのは、ハバナを歩きながら、だったのかもしれません。そして、そのような関心も、彼の仕事にきちんと位置付けられていくことを認識し得たのは、勤務先の神奈川大学の研究紀要などに発表された「真珠のメタファー」(『麒麟』、第02号&04号1993年&1995年)、「アンデスの人魚」(『麒麟』、第7号&第10号、1998年&2001年)、「「怪傑ゾロ」の研究事始め」(『麒麟』第11号、2002年)などの緒論文でした。このような中南米の民衆レベルの視覚表象への取り組みの大きな結実の最初が『サンタ・ムエルテ』(2012年、新評論)で、『イコンとしてのチェ・ゲバラ』に続き、この後のシリーズ化を期待していたところでした。

国境を大きく跨ぎ越し、ターゲットに直進しながらも、初めて聞くような場にも寄り道をし、また、新たな関心を触発させる。全体と部分、中心と辺境、巨視と微視など、等価に意を配すこと。加藤さんは、ボーダーやジャンルは越境するものというばかりに風の如く歩を進め、堪能な語学力を駆使し、民衆の欲望が埋め込まれた文化に柔軟かつ敏捷に飄々とアプローチしました。そして、日々の机の前では、中南米への思いを掻き立てられながら、様々なラ米関係の文字・映像資料を漁り、その中を歩き回っていたのでしょう。これらのお仕事から、中南米文化を見極めるという加藤さんの「歩き」をうかがい知るのです。

(4) ハバナを共に歩くと、加藤さんは、其処此処のキューバ人にフランクに様々に語りかけていました。すると何人かは「メキシコ人?」と問い返してきたものですが、それはメキシコ仕込みのスペイン語にも由ったのでしょう。が、何よりも、ラ米人的なレベルでの関心のありようと衒いの無い明示、ラ米の人々に同化する開けた心持ちゆえと、今さらながらに思います。
再び、ハバナ・ビエンナーレを加藤さんと語り合いながら歩くこと、その再びの日を心待ちにしていましたが、その機会は失われました。ハバナを共に歩き廻ることから、加藤さんには本当にいろいろな「歩き」「歩き方」を学ばせていただきました。ただただ一言、「ありがとうございました」。



加藤 薫 先生へ

本間桃世
ABRF, Inc.(荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所)代表
元ギャラリー プロモ・アルテ スタッフ

加藤先生と初めてお会いしたのは、表参道のギャラリー プロモ・アルテでのことでしたね。 あれは確か1999年のことだったと思います。私は5年間の中米生活から帰国したばかりで、日本に拠点を戻すのか、また中米に戻るのか、悩んでいた頃でした。 ある時、当時外務省が発行していた月刊誌『外交フォーラム』の編集長をされておられた伊藤実佐子さんにお会いし、「中米で美術の仕事をされていたのでしたら、ちょうど先日お会いしたばかりですが加藤薫先生という方がおられますよ、一度お話をうかがってみては?」と教えていただいたのが先生のお名前を知った最初のきっかけです。

同時に伊藤さんにギャラリー プロモ・アルテの存在も教えていただいき早速訪ねた私は、日本で中南米美術の紹介をしているギャラリーがあることに驚き、また嬉しくなりました。ディレクターの古澤久美子さんにお願いして同ギャラリーでお手伝いをさせていただくことになって間もなく、ついに先生とお会いする機会が訪れたのでした。 初対面でしたので改まってご挨拶申し上げると、先生はニコニコと「ふ〜ん、コスタリカにいたの。コスタリカの美術はあんまり知らないなあ…今度ぜひ教えてね」と気さくに話してくださり、その後もギャラリーにお立ち寄りになる度にいろいろなお話をうかがう幸運に恵まれました。

加藤先生、あれからずいぶんと年月が経ちましたね。 その間にも先生は国境をいくつも飛び越えて、ラテンアメリカ、中米カリブ地域でリサーチを重ねられ、貴重なご著書を何冊もお書きになられました。 日本においてこの地域の文化・芸術について深く知ろうとしたとき、加藤先生の著作に触れない者はありません。そして、日本人として、日本語でそれらを読むことのできることは、大変幸せなことだと常に思います。 ほんの少しですが、先生のお仕事を少しだけお手伝いさせていただいたこと、覚えていらっしゃいますか。 『キューバ現代美術の流れ』をご執筆中に、あまりにも多くのアーティストとのやりとりを先生お一人でされることは不可能に近く、比較的若いアーティストとの簡単な連絡や資料の確認などを代行させていただいたことがありました。 今考えると大事なことを任されたのにも関わらず、私はのん気にアーティストたちとおしゃべりをしているような感覚で楽しく連絡を取り合っていただけのような気がします。なんと失礼な心構えだったのでしょう…なのに、先生には同書のあとがきで謝辞をいただいてしまいました。穴があったら入りたいような、でも、とても光栄な、くすぐったいような気分になったことを今でも思いだします。豊穣な物語性を秘めた中南米・カリブの国々は、今もなお発掘されるべき文化・芸術の宝庫ともいえるでしょう。しかし日本から出かけて行くにはあらゆる意味での距離が私たちの前に立ちはだかります。先生の書かれたものを通してその世界に触れた者がどれほどいることか…この世から先生がお姿を消してしまわれたことで、私たちが失ったものはあまりにも多く、なんともいえない喪失感でいっぱいです。

先生とはビールやテキーラもご一緒しましたね。 スタンディングバーでカウンターに寄りかかりながらCoronaの瓶を片手に持って笑顔で語る加藤先生は素敵でした! なんというんでしょう、ラテンの伊達男、といったらあまりにも月並みですが、日本ではなかなかお目にかかれないダンディなお姿。同席の女性がいれば必ず美しさを見出して(女性としての努力を怠っているのでは?と思われる者=私もその一人…であっても)すかさず賛辞を送り、女性なら誰でも先生とお酒を飲むのが楽しみになってしまうようなチャーミングさも加藤先生ならでは、でしたね。 その先生が「最近は大学でも気をつけなくちゃいけないんだよ、僕なんてうっかりするとセクハラ、なんて言われちゃうかもねえ」とこぼされた時は、その場に居合わせた一同大笑いで「ラテンの男性ならみんなセクハラだから大丈夫ですよ」「いや、ここは日本だから気をつけた方がいいですよ」などと軽口を叩いたものでした。

いろいろな記憶が断片的によみがえってきますが、やはり一番の想い出はハバナ・ビエンナーレです。 2000年の第7回の時の展示がきっかけで、加藤先生と正木基さんと私が発起人になってプロモ・アルテでの展覧会を実現させたAbel Barroso、高知県のアーティストたちによる土佐和紙を使った作品展を開催したGaleria Los Oficiosを拠点とするNelson Dominguez、第4回高知国際版画トリエンナーレ展でグランプリを受賞したEduardo Roca (Choco)等々、先生がキューバを訪ねればキューバを代表するアーティストたちが大喜びでお迎えしたものです。 もちろん、先生の傍らには本場のモヒートが常にお供でした。

でも、もう美味しいモヒートをご一緒することは叶わなくなってしまいました。 誰にでも、誰とであっても、いずれ何かをご一緒することが出来なくなる日がやってくるのは分かっているつもりです。 ただ、あまりにも早すぎると思うのは勝手でしょうか。いえ、先生を知る人は皆、同じ気持ちだと思うのです。 今更ですが、もう一度真面目に先生のご著書を様々に読み返そうと思います。そして、今度は今までのように「教えていただく者」として甘えながら読むのではなく、「何かを受け継ぐ者」となれるよう、襟を正そうと思います。 ここまで書いて、先生のお声が聞こえてきました…

「まあ真面目な話はそれくらいにして、飲みにでも行こうよ!」 空耳でしょうか?

Querido Profesor Kaoru Katou, Mil gracias por todo lo que me/nos habias ensenado. Estoy segura tu alma siempre este´ con nosotros para seguir gozando la riqueza de la cultura y el arte de Latinoamerica y del Caribe, de cual tu fuiste enamorado por siempre,,,,


 
加藤 薫 Kaoru Kato

神奈川大学教授(専門=中南米・カリブ圏・米国ラティーノ美術研究)
美術評論家。
1949年生まれ。国際基督教大学卒業。
メキシコのラス・アメリカス大学大学院芸術学科修了。
メキシコ国立美術研究所(IIE)研究員を経て、帰国。
1987年より神奈川大学助教授。
国際経営研究所主任研究員を経て、1991年より現職。

ヒスパニック美術史家として、南米植民地時代のキリスト教建築美術、メキシコの壁画運動、冷戦以後の芸術変容の研究などを精力的に進める他、各種の美術展・絵画展の企画プロデュースや、テレビの芸術番組制作にも関与。『ラテンアメリカ美術史』『ディエゴ・リベラの生涯と壁画』『骸骨の聖母サンタ・ムエルテ』など著書多数。

 
 

Copyright(c)2012 PROMO-ARTE Allrights reserved