ネルソン・ドミンゲス 01/17〜02/11 「Nelson 1973」
ネルソン・ドミンゲス(キューバ)


■ネルソンを語る --- オマール・ゴンサレス(作家)


巨匠ネルソン・ドミンゲスは、現在のキューバ芸術の中で、完全性、実験、果敢を象徴する。 彼の作品は、全てを名づけることに懸命な人達にはとても分類できるものではない。ジャンルや表現などを考慮せず、グラフィックアート、彫刻、絵画、陶芸、線画から、現代音楽や文学で起きるような融合がまさにその特徴であるその表現し難いある混合された物にまで広がる。 ネルソンは決してとどまらない。 彼の強迫観念は創造することである。

学生生活を始めた頃から、ともすると違反も辞さない並外れた活力が顕著であった。 当時の仲間たちは、彼が怠惰や方向を見失うこととは無縁の人だったこと、また資力が不安定な時には兎に角それを必ず作り出していたと記憶している。 奇跡の創造者か錬金術師の如くか、と私は想像する。 彼がラテンアメリカやカリブ芸術の多くの巨匠たちと親交を結ぶだろうということは彼の経歴で予見できる。 なんといってもまず第一にLam。 彼はすべての源から吸収し、精神を普遍的なものから培い、我々に、異なる、唯一の、永久に制作中の作品を提供する才能があった。 命のように。 彼の作品の前では微塵の曖昧さもない。人間のアイデアの反映であるそのスタイルはまさにネルソンのスタイルである。彼の作品の全ては、キューバ以外の国々での彼への傾向である心地良さや親愛の情などが最もある日本で今回起こり得る様に、外国でのみならず、祖国、彼と同年代の芸術家やその前の世代、あるいは最近の芸術家たちが、我々に見せた全てを誰も評価することができないあの冗漫さをもって出展し参加する国でも識別されるであろう。

ネルソンの中には彼を際立たせる恒常的な事象が存在する、それは主題ということではなく彼のやり方とか気持ちの語り方である。 彼は、形と知的能力遊びを楽しむ。 ナイーブなようで観念的、抽象的であり象形的、勤勉なまでに古く、そして論証的に現代的にまで至る。 彼を分類しようがないのなら、私なら、彼は、全てに関してルネッサンス家、制限なしの情熱家、絵画、彫刻や陶芸に見られる彼のより優れた情景の物語の語り手であると言うであろう。 山岳地方出身であり、節度のないのが彼の特徴で、彼を評価し、彼を際限のない創造者としている。 ダリなら表現するように、もし自然が超自然なら、それを強迫観念的に再創造する人は空想と夢に取り憑かれた人のように見えるはずだ。 そしてネルソンがそうなのだ。

研究と批判的評価により落ち着いた仕事をする彼の作品は、人間にとって大きな重要性を持つ事柄を反映すると同時に円熟期のたくましさを表わしている。 日常事象の内在性や彼の思考は、それが全てにでないとすれば、彼の作品の大部分に現存している。 そこから、一見無邪気な、しかしよく観察すると厳しさに耐える深みを描き出す話題に回帰する。

この芸術家は分かってきたところなのだ、そしてその教えのなかで彼は日々我々を驚かせ、また栄光はどうあるべきかを教えてくれる。 私は、彼を以前から知っているし、彼のほとんどの作品の誕生に立ち会ったので、ただ思い出を話すことだけで彼を立証することが出来る。 時には歌うようなカンバス、暗いカンバス、不可解なカンバスに描かれた作品。 あるいは何にでも描かれた空想の産物。 そんな彼の神聖な作品の立証に今直面する人々はそれを確証することが出来るだろう。 夕暮れ、夜が更けていく時を; 明け方、暗闇が消えていく時を; 猛獣と戦わされる奴隷がまさに目覚める時、あるいは死者が告げる、まさにその時を思い浮かべれば充分であろう。 神秘と美しさをもって臨む彼のように、ネルソンに日本は近づいてほしい、そしてその光の中で成長するだろう。

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De la Serie Imagenes de Angola
"El Pensador"
El Cementerio de las Mascaras Las Mascaras de la Vida
Vendedora de Frutas Nacimiento de la Verdad Grito en Rojo
Cabeza con Pajaros y Serpientes Cristo De la Serie Rostros de mi Isla
Resaca Sin Titulo Figura con Gallo

■「私の島の顔シリーズ-収穫」からネルソン・ドミンゲスの新作展のために
正木基(Casa de Cuba主宰)

今回の三浦美術館の個展には「私の島の顔シリーズ]から1973年の作品も出されると言う。同シリーズに[収穫](1974年)という同時期の作品がある。この作品を見ると、彼の制作の根幹がどのようなものかが、それなりに把握できる。まず、タイトルにあるように、私の島とはキューバのことである。それは政府、国という単位でのキューバを言うのでなく、あくまでキューバと名付けられた島をさす。それゆえ、この作品には、キューバという島に住む生きとし生けるのも、具体的には男と女、人間と樹林(自然)、果実という恵みへの愛着の思いが満ち溢れている。このテーマは、その後のドミンゲスの基本となるもので、それは今回の新作群でも変わらない。ここでひとつの問いが生まれる。私たちは、私たちの国を、ドミンゲスが言うように<私の島>と呼べるだろうか、<私の島>を描けるだろうか、という問いが。

[収穫]は、人物、樹葉、果実に淡い色彩を施し、人物の陰影や樹木の影などに暗く着彩して、明暗の強いコントラストが特徴となっている。そのコントラスト感は、その後のドミンゲスの制作では、ますます単純化され、強められる。同時に、人々と樹林が混然と入り組んだ画面は、具象性が希薄となり、地と図が不明瞭な半抽象的作風となっていき、人や動物やその他のものが朧げな形象で窺えはするが、具象的な形態としては像を結ばない。色彩関係で言えば、基本的に、暗い色彩の背景(=地)から、対比的な色彩によって朧げに形象が浮かび上がる、あるいは逆に対象(=図)が、明るい地から浮かび上がるということである。近年は、エレグアなどのアフリカ宗教神、キリスト教と思しき僧侶、さらには供物など、宗教的なテーマを取り上げ、そこに使用した基調の黒色には、どこか宗教的な神秘性が見られようになる。それを、ここでは、顕現的な描写といっておこう。というのは、ドミンゲスの作品世界は、いつしか、普通の人物や動物などと共に神が顕現するかのような<私の島>となっていたからである。

その黒色にしても、絵の具の艶やかな塗り、下地の白や赤の色彩などを透かすかのような薄塗り、カーボンのような細かい粉末状のマチエールなど、絵具の多彩な表情を見せている。これは、ドミンゲスが、そこに描かれたイメージが現実に触発されたものでも、一個の独立した絵画世界であることを覚醒させようよしているからではないか。同様に形象の不確かさも、ひとつの説明的なイメージに収斂させるのではなく、人それぞれの多様な解釈にさらされるべき絵画を志向しているからではないか。ここには、絵画が、人々に、いかに受け止められるべきかの、ドミンゲスの自問があるように思う。

彼の描く作品が、アフロ・キューバンな世界を表していることは、しばしば、言われている。が、筆者には、ドミンゲスの<私の島>をはじめとする作品が、遠くアフリカからの文化とスペインをはじめとするヨーロッパからの文化を、いかに血肉化したかの自負を示しているように思えてならない。また、ドミンゲスの絵が、キューバ美術なかんずくウィフレド・ラムの血脈を汲むものであることも、作品を見れば一目瞭然だろう。自国の文化伝統を踏みはずすことなく、いかにそれを超克、革新するかのドミンゲスの腐心が、ここから理解できる。冒頭にあげた自国意識の問題もさることながら、このような美術文化の受容と展開のありようについても、ドミンゲスの作品は私たちに問いを投げかけていると言えよう。

ネルソン・ドミンゲスの新作展が開かれる今秋には、横浜市美術館で、ウィフレド・ラムの本格的な回顧展も開かれる。2人のキューバ人画家が、彼らの<私の島>の文化のアイデンティティを、どのように確認し、掘り下げたか、を私たちは目の当たりにするだろう。私たちにとっての<私の島>を考える格好の機会が、訪れようとしている。