ユートピアンテリトリーズ---キューバの現代芸術

文・マーク・サンダース(Mark Sanders)
Curator's Egg vol.2より


現代のキューバは、国内的な矛盾に加え、対外的曖昧さに彩られた島である。キューバは世界でまだ生き残っている最後の共和国の一つであるとともに、歴史上最も長いアメリカの経済封鎖の犠牲者でもある。このように強制的に西側から孤立された結果、独特な「在り方」が発展し、魅力的で真摯津な文化圏が創られた。キューバほど芸術と社会の衝突を体験できるところはない。それはシュルレアリスムが美意識を超越し、日常生活の現実となっている島なのである。
 
キューバの首都、ハバナの公共の広場や横町には、この夢のような佇まいが周りの環境と溶け合い、時間が停止しているかのような混乱した状態へと追いやられる。スペイン風の邸宅が老朽化したソビエト式の団地と共存し、中国から輸入された自転車が、1950年代のアメリカ製キャデラックと並んで置いてある。そのような過去の思い出が、ほとんど勝手気ままに出現する。それらは革命の看板や標識がまさにこの都市の魂に宿っているのと同じように、無意識の中に浸透していく。聖人のようなチェ・ゲバラの姿は、政府の建物でも、無数にある安物の土産にも見ることができる。まるで時間が勝手に過去の入り乱れた乱痴気騒ぎを始め、キューバの遺産を食いつくし、大衆に向かって吐き戻しているかのようだ。


革命の実在としてキューバのアイデンティティは、絶えず再評価される状態にある。内からも外からも粉々にされ、脱構築されたこの島国は、今日、相反し衝突する一連のイデオロギーの戦場となっている。アメリカ合衆国では、それは「のけ者」にされた国家であり、アメリカの覇権に対する脅威と考えられている。マイアミにいる何百万人ものキューバ難民にとっては、それは抑圧的な専制支配のくびきにつながれた失楽園であり、祖国である。カストロとキューバ革命にとっては、それは未だに民族主義闘争と独立した「人類同胞主義」と社会主義的エーリュシオン(楽土)の場所である。実際キューバは、ユートピア的であると同時に独裁的であり、外来であると同時に土着の矛盾する欲望を映す鏡なのである。それは非現実的なイデオロギー的空間なのである。

1990年代のキューバ美術の複雑な事情を完全に理解するためには、まずキューバの文化的過去と革命の中での芸術の役割を理解する必要がある。20世紀のキューバの歴史を通して、文化的発展は自由な発言のための闘争、そして現代芸術における社会的、集団的可能性に対する開けた、進歩的姿勢を特徴としてきた。1920年代から1940年代には、アメリア・ペラエズ(Amelia Pelaez 1896-1968年)、ウィフレッド・ラム(Wifred Lamb 1902-1982年)、ヴィクトル・マニュエル(Victor Manuel 1897-1969年)のようなキューバ人アーティストたちは、パリとメキシコのアヴァンギャルドの方向を向きながら、真正キューバの実践を創造した。フルゲンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)の政権下(1953-1958年)の全般的なアバシーの時期の後、1959年のキューバ革命の勝利は、民族主義的プログラムへの新たな関心の前兆となった。たとえそれが革命に供するものであっても。今や文化は1961年のフィデル・カストロのスピーチ「知識人ヘの言葉」の中で彼が述べ、「革命を指示するものはすべてであり、革命に反するものは無である!」というスローガンに記されたように、重要な社会的、革命的手段となった。1971年までにアーティストの個人的自由はさらに締め付けられた。芸術は「革命的武器」と定義された。検閲が法律で定められ、基準からはずれた行為はすべて禁止された。今では「灰色の時代」としてし知られている1970年代は、自由な気風をもつアーティストには困難な時代だった。1976年には表現の自由の制限までキューバ憲法に記されることになった。それにはこう記されていた。「芸術的創造はその内容が革命に反しない限り自由である。表現の形態は自由である」。


皮肉なことに、キューバ憲法に記されこの形態と内容の分裂が、キューバ芸術の一連の発展へとつながり、それによってキューバ芸術は西半球においてユニークなものとなった。同時に、1970年代の文化省の共産主義的熱意が、ラテン・アメリカで最も活気と教養ある芸術界の一つをつくり出した。これは国家と文化の関係における一つの変則を形成した。1980年代の芸術は公式的実験と政治的内容を特徴とした。絵画、インスタレーション、パフォーマンスを通して、彼らはしばしば政府にとっては「不快」と思われる諸問題に取り組み、彼ら自身や彼らの作品をキューバ文化の新しいルネサンスに先駆けて、芸術は再びしっかりと大衆の領域、そして街へと戻った。1984年、政府の進歩的な人たちの指示を受け、ハバナビエンナーレが初めて開催された。それは開催当初からハバナを世界の芸術の都として確立するのに役立ってきた。
 しかし、1980年代末、この短い創造的自由の時期は劇的な終りを迎えた。新たな芸術の弾圧が告知され、すべての文化活動に検閲が課された。主にペレストロイカの時期に、ロシアの補助金に対する脅威が増大したことと、ソビエトブロックにおける国家支配が自由化したことに対応したもので、革命政府はロシアが崩壊して無政府状態になったのと同じ運命をキューバがたどらないよう「修正」プログラムを発表した。その結果、1980年代に傑出したアーティストたちの多くが亡命し、革命の中心に文化的真空が生まれてしまった。それに続く時期は、あとに取り残されたアーティストの多くにとって厳しいものだった。キューバは「特別な時代」として知られる長い孤立の時代に入った。1991年頃から、ソ連崩壊とアメリカの経済封鎖の二重の影響がキューバの脆い経済を蝕み始め、視覚芸術に対する国の支援はすべて無くなった。

今日、キューバの経済状況は今なお劇的な移行期にある。1990年代半ばに色々熟考した末、フィデル・カストロはキューバに外資投資と観光事業を迎え入れることにし、今、この国の経済は米ドルとペソの2つの通過で営まれている。したがって、1980年代末以来輩出してきた新しいアーティストたちは、経済的、文化的十字路に立っている。彼らは相変わらず芸術を社会変革のツールと見なしているが、政府の直接的批判を擁護すればまた長い検閲の時代につながるかもしれないため、より巧妙な批判の形態を発展させている。1990年代のキューバのアーティストたちは、人気のある公式の偶像を使って、巧妙な追いつ追われつのゲームを通して自分たちの考えを表現している。そこでは彼らはおなじみのものを描きつつ、同時に現代のキューバの社会的現実をほのめかしている。そうすることで、キューバのアーティストたちは彼らの芸術に対する集団的観点を維持している。それが特異な点であり、西洋のアーティストの多くには欠如している点である。

今日のキューバのアーティストたちが進歩的であるとともに前向きな芸術の実践を発展させてきたのは、相反するイデオロギーの戦場においてなのである。彼らは1980年代末の文化省による長い検閲の時代の結果、キューバ文化の中心に残された芸術的真空をうめるという課題に直面しなければならなかった世代に属する。そのために、彼らは新しい表現形態で実験してきた。しばしば私的領域と公的領域の間の微妙な線をたどりながら。キューバでは、これは危険だが必要な行為なのである。個人的なことは常に集団的に展開され、あらゆるジェスチュアは政治的行為へと変換される。
 

特に現代のキューバの美意識に浸透しているテーマは、「ユートピア」あるいは「不成功に終わったユートピア」というテーマである。共産主義イデオロギーの中心的保有者であるキューバ人は、過去42年間、日常のあらゆる領域で共産主義ユートピアが展開していくを約束されてきた。だが、社会主義が衰退し、革命が経済的安定をもたらせない時代に、そのようなユートピア的プロジェクトへの信念は、むしろ未来を神話化するものとなっている。

アーティストのフェルナンド・ロドリゲス(Fernando Rodriguez)とサンドラ・ラモス(Sandra Ramos)は、革命のユートピア的実験の結果、人間および社会へ及ぼした影響を探究している。ロドリゲスは、第二の自我、フランシスコ・デ・ラ・カル(Francisco de la Cal:架空の革命時代のアーティストで、1961年失明したことになっている)を発明することによって、キューバ革命の実験の壮大な天真爛漫さを描いた一連の絵画や木の彫刻を通して、革命時代の希望と夢をひもといてゆく。サンドラ・ラモスの作品は、異なる種類の信念、何千人ものキューバ人経済移住者を探究している。彼らは1980年のマリエルからの脱出に始まり、フロリダの海岸から出発した。この危険な渡航に旅立った人々の多くが海で死んだ。したがってラモスの作品は、そのような危険な度を敢行するために人が必要とする信念、あるいは絶望を思い起こさせるものなのである。同時に彼女の彫刻は、キューバから逃げる人々が抱くナイーブな幻想を指摘している。彼らは西洋を乳と蜜の流れる地(豊饒の地)だと思い続けているのだ。

旅と移住の二つのテーマは、キューバ人彫刻家、カチョー(Kcho)の初期の作品の中心的テーマでもある。彼の大きくて印象的なインスタレーション、「レガッタ」(La regata)は、第5回ハバナビエンナーレに出品され、ハバナ港にそって並ぶたくさんの要塞の一つに展示されたが、それは岩や流木、小枝、その他の海岸に流れついた残骸でつくられたおもちゃの船の艦隊だった。キューバの北部海岸一帯から大量の移民の波がフロリダに向けて旅立つわずか数カ月前に完成したこの作品や、1995年の「無題」(Untitled)のような関連作品(捨てられたビール缶のみでつくられたボート)などは、今日、新たな、より厳しい現実を具現したものとなっている。

過去10年間にわたり、ボートという表現は、キューバ芸術の隠喩的言語における重要なシンボルとなってきた。その他によく使われる図像としては、キューバの国旗とキューバ島があるが、これらは両方ともキューバ革命はもとより、キューバ人の精神において特別な響きを帯びている。これらのシンボルは海外に住む亡命キューバ人たちにとっても重要な表象である。過去40年間にわたり、キューバ国家はハバナとマイアミがお互いの分身として機能する「超領土」となっている。アメリカとキューバのキューバ人たちは、両者が共有する過去のしるしや表象に執着している。

このようなマイアミとハバナとの間の相互依存は、キューバとアメリカ合衆国との混乱した関係を反映している。1959年の革命の勝利以来、アメリカは可能な限りあらゆる方法でカストロ政権を駆逐しようと試みてきた。1992年のトリチェリ法で経済封鎖が強化され、さらに1992年のヘルムズ=バートン法案でさらに制限が課された結果、アメリカ企業の在外子会社がキューバと交易することが禁止となり、キューバの港に寄港した船舶がアメリカの港へ入ることも6ヶ月間禁止となった。また、キューバ内で通商取り引きのある海外企業の重役に対し、アメリカヘの入国をアメリカ政府が拒否することも可能になった。国際的には、こういったアメリカの世界に対して法的規制を設けようという試みは大いに非難されており、1992年以来毎年、国連総会は圧倒的大差でアメリカの経済封鎖を非難すると票決している。
 

皮肉なことに、キューバではこの包囲状態が今、新しい技術によって崩れつつある。キューバ人たちはアメリカの衛生信号を受信することで、最新のアメリカ映画やテレビにアクセスできる。この結果、アメリカのポップカルチャーに詳しいアンダーグラウンドのキューバ文化が生まれ、この動きは、キューバ市民や文化エリートたちの海外旅行の増大によってさらに強化されている。マルチメディアアーティストのラウル・コルデロ(Raul Cordero)は、彼の絵画とビデオの作品でキューバとアメリカの相関関係を探究している。2000年ハバナビエンナーレに出品された最近のインスタレーションで、彼は二つの明らかに異質な、しかしお互いに関連している広告掲示板(一つはラスベガスにあり、もう一つはキューバのビーチリゾート、ヴェラデロにある)のつながりについて考案した。同じ広告掲示板の向い側にそれぞれのサインが読めるように設置されており、このアーティストはラスベガス砂漠とヴェラデロビーチの砂も運んできた。その結果、相手を反映し、ラズベガスの低俗さとキューバの無邪気さという二つの対照的なイデオロギーが一つに融合された。


キューバのアーティストたちが砂や壊れた筏の残骸など特殊な素材を使い、それらをアートオブジェクトへと再構成していくことは、記号的関係を示唆している。そこでは物体の意義づけをしなおすことは、それ自体一つの記号の形態で表象される。これはまた、キューバでは生存していく上で、すべてが再利用されるということを反映している。一部のキューバ人アーティストたちが使う材料におけるこの「生存」あるいは「指標的図象」は、カチョー(Kcho)の作品に最もよく現われているが、アーティストのトネル(Tonel)とタニア・ブルグエラ(Tania Bruguera)の作品にも現われている。トネルの1990年代半ばのある作品は、大きなハンドペイントされた建築用ブロックでキューバ国旗をつくるというもので、それは芸術の領域の外の世界の現実との物理的結びつきであり、アメリカの封鎖、あるいは経済制裁によって荒廃したキューバを再建する必要性を象徴しているのかもしれない。タニア・ブルグエラも彼女の作品で「現実の」材料を使っており、過去には人間の髪の毛を使い、1996年に完成した感動的で辛辣な作品、「統計」(Estdistica)で、髪の毛を手編みしてキューバ国旗をつくった。
 

現代キューバ芸術のもう一つの重要な関心事は、過去の理解を通して現代を再評価することである。これはアーティストトリオ、ロス・カルピンテロス(Los Carpinteros)の作品の中心的テーマである。彼らの初期の彫刻は、木工品と絵画を組み合わせ、1959年革命以前の歴史を抹消するという是認済みの方法に疑問を呈している。彼らの作品、「ハバナカントリークラブ」(Havana Country Club)は、その適例である。今は最高芸術院(Instituto Suprior de Arte)となっている旧ハバナカントリークラブを出発点として、彼らは生い茂る草に覆われた革命前のゴルフコースで、自分達がゴルフをしている様子を描いている。1950年代にキューバの社会的エリートたちによって撮影された一連の写真をもとに、ロス・カルピンテスはゴルフクラブの代わりに棒でゴルフをすることで、その情景を再解釈する。それはまるで彼らが、このゲームのやり方をもう一度初めから学びなおさなければならないかのようであり、それは現在キューバ社会が革命を超えて世界に再び同化しなければならないということの暗喩である。同じような傾向をもつキューバのコンセプチュアル写真が、現代キューバ人の過去と現在の経験を探究している。ハバナのマレコン遊歩道を映したマヌエル・ピニャ(Manuel Pina)の辛辣な写真は、1990年代初期の「特別な時代」と経済危機の暗澹たる時期に多くの人々が感じた孤立感を具現している。ここではマレコンの壁とその後ろに波打つ海のイメージは、現実的であると同時に心理的な、閉所恐怖的で罠に囚われたような不安な感覚を作り出している。

キューバの中で考察しても外で考察しても、1990年代の困難な時代にこの島で残った今の世代のキューバ人アーティストたちは、社会的、芸術的内容に特権を与えるユニークな芸術実践を形成してきた。集団的には、彼らの作品は、その前の10年間の市場とは状況の異なる市場との関係によって強要されるようになった、一連の新しい戦略を特徴としている。今日、現代キューバ人アーティストたちは自由に海外へ行き、世界中で展覧会を開き、多くのギャラリーで紹介されている。それと同時に、彼らの作品の着想は未だにキューバで生まれている。この状況の中で芸術を創造することは、本来的に先見性のある作品を制作することなのだ。そういった意味での芸術の集団的、社会的志向、そして見る人に訴える芸術作品を制作するということに対する洗練された感覚が、キューバの芸術を今日の現代芸術界における力強く革新的な勢力にしているのである。

 

 

マーク・サンダース(Mark Sanders)
イギリスの人気雑誌『DAZED & CONFUSED』の1994年の創刊メンバーであり、ビジュアル・アートの記事編集に携わる。1995年にはロンドンにデイズド・アンド・コンフュースド・ギャラリーを開き、ザ・ギンザアートスペースで行われた「DAZED & CONFUSED」展(1998年)、「チャップマン兄弟のお受験」展(1999年)など数々の展覧会を企画。その他にも、チャップマン兄弟や、1998年にビル・ゲイツにパイを投げつけたノエル・ゴディンについてのショート・フィルムを監督。現在は、ファイドン・プレス社の現代文化担当コミッショニング・エディター、今年9月にNYで創刊した『アナザー・マガジン』のシニア・エディターを務める。最近企画しているアート・プロジェクトは、ダミアン・ハースト、マウリツィオ・カテラン、チャップマン兄弟を含む8人のアーティストにコミッションでチェスのセットをデザインしてもらうというもの。それらは来年末にロンドンで発表される予定。

 

『Curator's Egg』では、毎号一人のキュレーターがテーマとアーティストを選びます。キュレーターとアーティストたちの生の声を、作品とともに紹介します。アーティストの文章は、キュレーターがインタビューしたものから構成しました。
2001年10月25日発行/『Curator's Egg』(キュレーターズ・エッグ)2号/発行人 高辻ひろみ/編集人 西村彰/編集 豊田佳子/アートディレクター 中條正義/編集・発行 M資生堂 企業文化部 〒104-8010東京都中央区銀座7-5-5 Tel 03-3289-8204/発売 M求龍堂 〒102-0094東京都千代田区紀尾井町3-23文藝春秋新館7階 Tel03-3239-3381/定価525円(本体500円)