2004/08/10-09/29
川崎市岡本太郎美術館「岡本太郎とメキシコ-熱いまなざし」

主催:川崎市岡本太郎美術館
協力:メキシコ大使館、PROMO-ARTE
展覧会担当:仲野泰生、山内晶子(川崎市岡本太郎美術館)

カタログ
編集:川崎市岡本太郎美術館
翻訳:キャビン・ブルー
岡本太郎写真プリント:写真弘社
レイアウト・制作:集巧社


 

岡本太郎・メキシコへのまなざし
仲野泰生(川崎市岡本太郎美術館・学芸員)

詩人のための墓碑名
オクタビオ・パス
虚偽にみちた己れの真実の生を
忘れ去るために
真実にみちた己れの虚偽の生を
思い出すために
彼は歌おうとした 歌った

1 戦後日本におけるメキシコ美術の受容

岡本太郎とメキシコとの関わりを調べていくと、どうしても戦後の日本美術におけるメキシコ美術の受容のあり方と幾人かの日本人画家に多少は触れざるを得ないだろう。
 
1955年東京国立博物館にて、大規模な「メキシコ美術」展が開催された。この展覧会は近・現代のメキシコ美術を紹介するだけでなく、オルメカやマヤに始まる古代メキシコ美術や庶民生活から生まれた民芸品、そして民族学的な資料なども幅広く展示されていた。歴史と民族が重層的に織りなすメキシコをこの展覧会はよく伝えていたようだ。

そして「メキシコ美術」展は当時の若い美術家に、おおきな波紋を残すこととなる。当時の美術雑誌をめくってみると、作家だけでなく評論家も含めた展覧会の反響の大きさがわかる。日本の美術家は、明治以来常に欧米の影響を受け、また西洋の芸術を手本に(あるいは反面教師として)制作を続けてきた。しかし、この展覧会を観た当時の若き美術家たちは、様々なメキシコ美術の作品の中に、日本が欧米を模倣し、近代化の過程で見失った何かを見い出したのではないだろうか。

同年の『美術批評』10月号は「メキシコ美術」展の特集号で、瀧口修造、佐々木基一、安部公房、花田清輝、末松正樹、針生一郎の座談会が収録され、展覧会の感想とともに各人の細やかな分析がなされていた。座談会のページのすぐ後に、新進作家27名のアンケートが掲載。このとき登場した新進作家とは、例えば芥川沙織、池田龍雄、池田満寿夫、石井茂雄、小山田二郎、河原温等である。河原は「メキシコ美術の価値化」と題し、次のように述べている。

恐らく、西欧近代の硬化した抽象的原理をもって人間性の昂揚、あるいは自由を表明してきた多くの近代主義者にとって、このメキシコ美術展ほど驚嘆に値するものはないだろう。何故ならそれは全く新しいからであり、且つ、また、彼らの思念を根底的に裏切るからである。(中略)問題なのは人間の意識の想像的意識作用によって現実を喚起させる非現実化世界の造形化が、これらのメキシコ美術作品において、如何にそのメキシコの風土と、歴史的・社会的現実を反映し、また喚起させえるかを判断することによって、われわれの現実を積極的に変革していくその現実化の具体的方針を見定める若干の参考にすれば、それだけで充分である。

その意味で、メキシコ美術そのものは決して偉大でもなく、素晴らしくもない。偉大化せしめるもの−それは我々自身の偉大さ以外の何ものでもない。(中略)

しかし、私はメキシコ美術の国際的な意義と役割を全面的に回避しようとしているのではなく、むしろ、われわれにとってその意味が厖大であればあるほど、その度合いに応じて一層、それらを単にエキゾチズムとして、また新しいものとして、盲目的に魅了されてしまうその危惧性を考慮しているにすぎないのである。
 
河原のこの文章は読むのに、やや難解さを伴うが、「メキシコ美術」展を通じて戦後の日本美術界の本質を突くものになっている。それは日本美術界が恒常的に、海外の美術(ここではメキシコ美術)を無批評に賛美をもって迎えてしまう点である。

それにしても河原のこの一文を読んでいると、彼が作家として如何に「現実」との関わり合いを重視していたかが判る。河原はこの時期≪浴室≫シリーズや≪物置小屋の出来事≫シリーズを制作しており、これらの作品は作家の内部と外部である現実と葛藤の中での産物と考えられる。この時代は1953年に開催された「ニッポン」展をはじめとして、社会と現実との関わり合の中で多くの作家が制作を行った。後にシュール・ルポルタージュ(シュール・ドキュメンタリー)と呼ばれる作家群である。

このシュール・ルポルタージュの作家の一人に利根山光人がいる。利根山は1954年に佐久間ダム建設の記録映画に感動し、翌年にかけて佐久間ダムの工事現場で生活。その体験をもとに連作≪いけにえ≫を制作する。利根山もこの「メキシコ美術」展に感動し、1959年メキシコに渡航するのである。

ところで岡本太郎は1963年に初めてメキシコに行くのだが、この旅に誘ったのが利根山であった。

一方、河原温は1959年にメキシコに渡り、最終的にニューヨークへ到着。コンセプチュアル・アート(概念芸術)の作家に変貌したのはご存じのとおりである。また、「メキシコ美術」展のあとに河原の警告通り、またもや日本の美術界は欧米の美術の潮流に巻き込まれることとなる。1956年、岡本が企画した「世界・今日の美術」展を契機として、翌年批評家ミシェル・タピエと画家ジョルジュ・マチューが来日したことによって、アンフォルメル旋風が美術界を席巻きしたのである。
 
同年、岡本は「芸術風土記」を『芸術新潮』に発表し、日本各地を精力的に取材する。

2 岡本太郎の中のメキシコ
 
「岡本太郎とメキシコ」展の企画意図について語ろうとするとき、私が思い浮かべる一人のメキシコ人がいる。その名はノーベル賞作家で詩人のオクタビオ・パス。パスは代表作「孤独の迷宮」でメキシコという国とメキシコ人について、愛憎という二つの感情を含みつつ冷静な文体で書いている。

パスはこの著作で、単に「メキシコ的なるもの」の探究を試みたのではなく、「メキシコ的なるもの」からの解放を目指したのだと語っている。特に「メキシコの仮面」の章では、メキシコの人口の約7割を占めるメスティソ(スペイン人とインディオの混血)に対するアイロニカルな分析を行っている。例えばメキシコ人に対してこう記す。
 「老人や子供、クリオーリョ(メキシコ生まれのスペイン人)やメスティソ、将軍、労働者や学士、つまりメキシコ人というものは、己の中に閉じこもり、身を守る存在のように思われる。その顔が仮面であり、微笑みが仮面である」


パスの表現する「仮面のメキシコ人」には、古代メキシコ文化を作った先住民族インディオは含まれていない。パスの言うメキシコ人とは、精神面までを含めたスペイン人とインディオの混血を指しているらしい。そして、パスは仮面こそが現在のメキシコ人であり、仮面の下の顔、つまりアイデンティティの不在を暗に指摘している。
 
「孤独の迷宮」は、メキシコの現在を巡るパスの思考の軌跡かもしれない。
 
さて、パスと同様に岡本太郎の日本についての多くの著作も、岡本からの日本の近代と現代を巡る思索の織物になっている。岡本はかつて日本人について次のように語った。「今の日本人ほど自分自身を侮辱している国民はいないのではないか。近代主義は伝統主義どちらかしかない。情けない。」と。
 
そして岡本は日本各地を歩きながら、近代化されていない原生日本・日本人を探し続けたのではないか、現在の問題として。

その結果、彼の眼差しは縄文の美を発見し、沖縄の御嶽に出会った。そして岡本にとってのメキシコもこれらの一連の出合いの延長線上にある。
 
岡本太郎は1963年にヨーロッパ、アメリカを経由して、初めてメキシコを訪れる。しかし岡本がメキシコを情報として知ったのは、彼のパリ時代に遡る。朋友クルト・セリグマン(画家)から古代メキシコ遺跡の写真を見せられ非常に驚き、そしてその遺跡にまつわる太陽神の為の人身御供の話に、岡本はさらに惹きつけられたという。1930年代のパリは非西洋圏の世界への文化的な発見の時代だった。ジョルジュ・バタイユが編集した学術雑誌『ドキュマン』では、非西洋の文化を多面的に紹介していた。当然、岡本も目にしていたのではないだろうか。

戦後1956年に、岡本は『日本の伝統』を著すが、そこには「縄文土器」の写真や「光琳」の絵と共に、古代メキシコ遺跡の「チャク・モール」の石像の写真が使われている。「チャク・モール」の石像とは、マヤ・アステカ時代に太陽神に捧げる生贄の心臓を置くために作られたものだ。生と死とが隣り合わせに共存しているメキシコに、岡本は強い共感を覚えたのではないだろうか。

岡本は1967年から1969年にかけて、ホテル・デ・メヒコの壁画≪明日の神話≫制作のため、何度もメキシコを訪れている。この壁画はシケイロスのポリフォルム(個人美術館)を依頼した資産家のマヌエル・スワレスの依頼によるものである。この絵は画面中央に原爆で燃えている骸骨化した人物を配した作品で、スワレスは一目見て気に入ったらしい。

現地でこの作品の制作を手伝ったのが、現在もメキシコ美術界で活躍しているルイス・西沢と竹田鎮三郎であった。ルイス・西沢は日系のメキシコ人で、先述の「メキシコ美術」展でも初期の写実的な作品が紹介されている。竹田鎮三郎は北川民次の強い影響を受け、メキシコに渡りオアハカ地方で版画を中心に制作している。
 
岡本は≪明日の神話≫制作中に、西沢の案内でメキシコ各地の村や遺跡をかなりの早足で回っている。そこで撮影された岡本の写真は、市場に集まる人々や遺跡を中心に撮影している。特に市場の雑踏は、連続で多く撮っている。そこに現われた人々の表情は岡本が撮った沖縄の写真によく似ているように思う。岡本の写真は縄文や沖縄の写真でもそう思うのだが、岡本自身の中にある縄文や沖縄との再会のようなものではないだろうか。

メキシコでの写真も同じで、岡本が見たメキシコ的なるものとは、岡本自身の中にあるメキシコとの出会いだったのではないだろうか。岡本のメキシコとは、西洋や近代の価値観では捉えきれない、人間の本質に関わる価値そのものだったのかもしれない。そして、それは岡本自身の鏡としてのメキシコ像でもあるのだ。

私はその意味でこの展覧会を岡本が見たメキシコと、古代メキシコから現代にいたるメキシコというニ枚の合わせ鏡のような構成にできれば、と望んでいる。
(川崎市岡本太郎美術館)


(1)『現代詩手帖』1980年9月号「特集オクタビオ・パス」鼓直訳
(2)「メキシコ美術」展1955年9月10日-10月20日 世界巡回の展覧会
   主催:メキシコ芸術院 東京国立博物館 読売新聞社
(3)河原温(1933-)愛知県刈谷生まれ。読売アンデパンダンに出品、一時デモクラートに参加。
   ニューヨークに渡ってからはデート・ペインティング(日付絵画)を行う。
(4)利根山光人(1921-1994)茨城県結城市生まれ。読売アイデパンダンに出品。
   マヤ遺跡の拓本を採集。メキシコ政府からアギラ・アステカ文化勲章授与。
(5)「世界・今日の美術」展1956年11月 主催:朝日新聞社 図録には瀧口修造が解説を執筆。
   海外から47名の作家が参加。
(6)『孤独の迷宮』1982年 高山智博、熊谷明子訳。法政大学出版局 オクタビオ・パスの代表作は
   他に詩集あ「始原に向けて』試論『弓と竪琴』などがある。
(7)『岡本太郎の宇宙』1999年 紀伊国屋書店
(8)≪明日の神話≫川崎市岡本太郎美術館所蔵の原画は1968年の制作。他に幾つかの原画がある
   (富山県立近代美術館、名古屋市美術館)。壁画はホテルが完成せずメキシコにあると思われるが
    所在が不明。