アメリカではじめての解放区域「サン・バシリオ・デ・パレンケ」
16世紀奴隷売買制度により強制的に新大陸アメリカに連れて来られたアフリカ人は、反抗を重ね暴動を起こす反乱群(シマロナヘCimarronaje)を組織する。
彼らはやがて、コロンビア/メキシコ/キューバにパレンケ(Palenques)、ブラジルではキロンボ(Kilombos)と名付けた解放区域を構成していく。
一方アフリカでは、Kilombosとよばれている強制収容所を中心に武装したギネアのビジャゴ(Bijago)とコンゴのジャガス(Jagas)のゲリラグループが広く奴隷売買の反抗活動していた。奴隷制度は言うまでもなく数知れない悲劇を招いている。
それからのがれる過程でも、また山へ逃げ込んでからも悲劇は続いた。活動グループのなかにはスペイン人とラマテュナ地(La Matuna)で激戦になり、そのときの統治者ジェロニモ・スアソ(Jeronimo Suazo)は1603年平和協定を結ばざる得ない程だった。
ドミンゴ・ベンコスを頭としたマテュナのパレンケロスはスペイン軍と交戦になり、歴史家は「シマロネスの戦争」と記録しているほどである。サン・バシリオ・デ・パレンケ(San Basilio de Palenque)では、その当時の反乱軍の精神やアフリカ文化は、特に社会構成、言葉、葬儀等に今日でも強く息づいている。
(資料:Geografia Humana de Colombia)
アナ・メルセデス・オヨスは、現代ラテンアメリカンアートシーンで最も優れた作家の一人である。
もともと抽象画を描いていたオヨスは、1960年代のアメカンポップアーティストであるキースヘリング、ジャスパージョーンズをはじめ、アンディ・ウォーホルやリヒテンシュタインの作品に強く刺激を受け、70年代後半にニューヨークにアトリエを移してからは、アメリカ大陸における新アフリカ文化やアフロ・コロンビア文化(Palenque)を研究課題に、独自のポップアートを発表しはじめた。
1995年、ニューヨークの「El Barrio Museum」美術館やワシントンDCの「The National Museum of Women」で開催された「Arts Latin American Women Artists 1915-1995」では、ラテンアメリカ美術専門雑誌Art News, ニューズウイーク誌, Time y Art in Ame´ricaなど多くのマスメディアに注目され、有力な評論家らの絶賛を受けた。
1992年、日本政府の国際交流基金招待により初来日。