04/10〜04/22 アベル・バロッソ展     
-第3世界のインターネット・カフェ-(キューバ)

展覧会記事 毎日新聞 読売新聞 朝日新聞
 


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■アベル・バロッソ-木版画的「木製電化製品」の意味するもの
正木基/Motoi Masaki (casa de cuba主宰、美術評論家)

2000年、第7回ハバナ・ビエンナーレの会場を、神奈川大学の加藤薫氏と見て回った。その時、日本に紹介しなければならない作家と意見が一致したのが、アベル・バロッソのカフェインターネット・テルセーロ・ムンド(第3世界のインターネット)であった。やはり、バロッソの同展示を見たカリブ・中南米美術研究者の本間桃世氏も意見を同じくした。そこから、この三者の共同提案に、プロモ・アルテ ギャラリーが関心を示したことで、今回のアベル・バロッソ初個展は実現した。
アベルの作品は、木版画による作品である。簡単に言えば、木版のネガとポジ関係に着目し、そのネガ(版)とポジ(プリント)とを同時に見せる(複数性の肯定)一方、版だけをレリーフの作品として見せる(複数性の否定)という発表を1990年ころから行ってきた。ここで、版画のネガとポジの関係性の提示という問題は、ある意味、美術上の世界共通の主題と言ってもよい。ところが、彼の木版的作品には、北欧ルネッサンスを思い起こさせるモノクロ版画やメキシコのポサダらの骨太な彫りの版画作品を思い起こさせ、西欧的であると同時に、キューバ的かつ中米的というローカル性をも保持している。が、ここで興味深いのは、ある時期からの彼の制作主題に、20世紀に生まれ、20世紀に大半が滅びた社会主義圏という世界的主題が選択され始めた、簡略に言えば、数少ない社会主義国家となったキューバの政治・社会・文化状況を主題に上らせたということである。多少、大げさな物言いをすれば、キューバという主題は、20世紀の最も重要な世界的問題であると同時に、キューバがいまだにかかえる個別的課題である。このように見るならば、昨今、流行の言葉を引き合いに出し、美術的位相と政治社会位相とのふたつにわたるグローバリゼーション的な問題意識を、アベルの作品に指摘することは、あながち見当はずれではないと思う。
このように書くと、アベルの作品が、いかにもいかめしく思われるかもしれない。カフェ・インターネットの作品中から、木版のごとき彫りの本体、そこに手動のハンドルが付され、エチョ・エン・クーバ( キューバ製) と刻印されたパソコンを見てほしい。筆者は、キューバの電気事情や電化製品事情並びにパソコン規制などへの風刺といった問題意識を、そこに読み取るのだが、まず、そのことよりも、アベルのアナログ的(木版画的であり木工芸的)な手つきに、郷愁とも愛着ともつかない親しみを覚えてやまないのだ。そこに、プラスチック製のパソコンの無機性的な表情の相対化への共感があることは疑いない。アベルの木製手動式パソコンには、個別キューバのパソコン事情を超えて、世界のパソコン文化、強いて言えば、パソコンによる世界のグローバリゼーショナイズへの風刺に、共感の念をおさえがたくなるものがある。
今回のアベルの第3世界インターネット・カフェが、このハイテク、ハイブリッドな都市トーキョーで、どのように見えるか、どのように受け止めていただけるか楽しみである。


■インターネットではスローなサルサにしておくれ
加藤薫/Kaoru Kato (神奈川大学教授)

アベル・バロッソは1971年生まれというから、まだ30歳代になったばかりだ。ENA(国立造形美術学校)からISA(高等芸術院)へと順調に英才教育を受け、1992年からキューバの現代美術シーンに躍り出た美術作家である。そんなバロッソ本人と直接会ったのはこの「第三世界のインターネット・カフェ」会場が初めてであった。
眼鏡のせいか、顔立ちはちょっとウディ・アレン似で、しなやかな感性と作家人生への意欲をきゃしゃな身体と笑顔に包み込んでいた。私たちは1時間は話し込んだろうか。バロッソと別れた後、正木氏と私の出した結論は、異なる思考の回路を経たものであるにもかかわらず同じものであった。バロッソの作品を日本で是非紹介したい、と.... そして今、本邦初のバロッソ展が実現したわけだ。
キューバは長年、国際社会から孤立した環境で生きざるをえなかった。社会インフラの未整備の故に、多くの第三世界諸国と同じくグローバルな情報化社会の動きからは遅れ、キューバ人の間では、この21世紀になっても最後まで白黒テレビを見ているのは我々だけだ、という自嘲めいた言葉も囁かれる。官公庁にはコンピューターも順次導入されているが、一般市民が自由にパソコンからインターネットを通じて世界と瞬時にコミュニケーションをとるなどまだ先の話しだ。
バロッソが木を主素材に組み立てるテレビやパソコン、プリンターなどはどれもこんなキューバ国内の社会環境へのアイロニーである半面、これが重要なのだが、まだその全貌や実態を知らないインターネット社会への夢、半ばブラックボックス化しているハードやソフトの機能を想像力で創りあげている。よくコンピューターが漢字文化の国で発明されたら全く異なるアーキテクチュアになっただろうと言われるが、同じようにもしインターネット社会がキューバから立ち上がり、第三世界から普及したらどんな地球社会になっていただろうか、という世界の在り様への問いかけがある。
一方、グローバルにインターネットで繋がった情報化社会の実態が、実はアメリカ合衆国に代表される一部の国々の価値観の反映であることに気付いていない我々への警笛でもある。ディスプレイの映像の背景にはさぶりみなるれべるの識闘を刺激する大量消費商品の表象が隠されていることや、白い砂浜で笑みを浮かべる水着姿の美女が、第三世界を観光的に消費しようという、醜く危険な欲望の自画像であることを指摘している。
バロッソの「第三世界のインターネット・カフェ」は先進諸国と第三世界双方の実態の歪みを指摘し、双方に発信する拠所である。この意味で、徒にグローバルと反グローバルの対立を煽る、あるいはそのどちらかの立場に過剰に荷担するようなタイプの現代美術作品とは異質である。。日本でも最近は未来を見据えてのスローライフやローテク製品の見直しが提唱されているが、バロッソが木で作品化したパソコンや携帯電話にも、この動きと通底する要素を観客は発見するのではないだろうか。最先端のデジタル情報装置ともっとも素朴な人間の夢表象の出会いは妙に面白い。バロッソの作品を音楽に例えれば「スローなサルサ」という所だろう。


■キューバから聞こえる「王様は裸!?」の声
本間桃世 Hommma Momoyo (タジェールプレゼンテ主宰、ラテン・カリブ美術研究者)

アベル・バロッソの作品−インスタレーション−“Cafe Internet del Tercer Mundo”(第三世界のインターネットカフェ)を初めて見た(体験した)時の印象は強烈だった。   
第7回ハバナ・ビエンナーレの会場のひとつ、モロ要塞は、その独特な建物のつくりと空間を生かした作品群にうまく活用されていたものの、訪れた人々は外に出たとたん照り付ける太陽のもと、しばらくすると喉の渇きを癒すモノと場所を探し出す、そんな先にちょうど「インターネットカフェ」の案内が目に入るのである。何の先入観もなしに「あ、こんなところにカフェ!何か飲もう」と入るか「キューバでインターネットカフェ?」と感じるかは分かれるところであるが、ともかく入る、そしてそこに待っていたのは絶妙な演出によるバロッソの世界であった。
バロッソのお手製コンピューターやビデオカメラの作品本体は版木で出来ており、「Very Fast」(とっても速い!)だの、「Estamos Conectados」(わたしたち、つながってます!)だのと彫られていて、それらの言葉はそのまま痛烈な風刺に受け取れる。生まれたときからパーソナル・コンピューターと携帯電話で育った世代の求めている人間関係というのは、「いかに手っ取り早く、安く、他者と直接対話をせずに(ネットで)つながっていられるか」につきると思うが、バロッソのコンピューターはその対極にある。
木製ビデオカメラの、本来映し出される動画を見るためのスクリーン部分には、いわゆる「パラパラまんが(幼少時、本のページの片隅に根気よくアニメーション動画の要領で描いたまんが−ページを一定のスピードでめくると描いたものが動いて見える)」が取り付けられている。これらの丹念な手仕事による版画を技法とする立体作品は、どれもユーモアたっぷりに現代社会における病理現象を批判しているのである。
キューバの作家たちに共通するのは作品の物語性であり、特に若い世代は物語の中にメッセージ、それも社会批判がこめられていることが多い。しかし、現代美術の主流である、ともするとヒステリックで見る人に嫌悪感さえ与えるような表現はキューバの場合、あまり見当たらない。
アメリカ合衆国のITバブルが全盛期だった頃、日本は遅ればせながら「IT革命」なる政府の方針を謳い出した。すでに他国に例がある現象をあえて「革命」と名付けるセンスに疑問を抱きながら、それでもメディアに氾濫するカタカナ言葉に対して市民は、「最後のところ理解しているかどうか自信のない自分」をだましだましパソコン・システムをいじくりまわす習慣が出来てしまった。個人的には一般家庭に普及する家電製品として、パソコンほど不完全なまま消費されているものは他にないと思う。もちろん、一度使い始めてしまえば、大多数の人が手放せなくなる道具であることも確かである。しかし、勇気を出して問うてみたい。本等にパソコンの普及によって私たちの生活は便利になっただろうか?必要以上に忙しくなっただけではないのだろうか?私たちは何か画期的に新しいものを生み出しているのか?
木版の技法を巧みに用い、3次元の空間を版と紙で構成し、キューバの現状を主題に先進国の文明をサラリと批判してしまうバロッソのインターネット・カフェ。あえてネットのつながらないカフェで私たちがこぼす微笑みは、バロッソの作品に対する賞賛と、自身に対する「王様は裸かもしれない」という照れ隠しとでなんとも複雑なものなのである。




■毎日新聞(夕刊)/2003年4月18日(金)/三田晴夫氏
木製機器で電脳文明を風刺

パソコンは、いまや電脳化社会の必需品である。ことに店内にパソコンを備えたインターネットカフェは、世界ともネットワーク作りにいそしむ若者たちのたまり場となっているほどだ。しかし、キューバの美術家アベル・バロッソの作り出した「第3世界のインターネットカフェ」に、同じような現実を期待してはならない。なぜなら、そこにあるのは木製のパソコンや携帯電話ばかりなのだから。 バロッソはずっと木版画を手がけてきた人らしく、彫った版木を木クギで継ぎ合わせるなどして、電脳機器の姿形をそっくり模している。たとえばパソコンには、キューバ特産のマンゴの実があしらわれているが、その形態が有名な米国コンピューター企業のマークを連想させるのが面白い。丹念に彫り込まれたキーボードは押しても作動せず、画面の連続画像は木製のハンドルを手回しして動かすという仕掛けだ。 携帯電話でも、手回しのハンドルで動かすのは同じだが、こちらはアーミーナイフ兼用で作られ、さまざまの刃先が収納される凝った仕組みとなっている。この他にも木製のCDを内蔵したヘッドホンステレオ、作者が実際に着用した木製ロボットなどが会場に展示されていて、それぞれから工作にも通じる素朴な手作り感や、濃厚なカリブの情感をたっぷり味わうことができる。 なるほど、まだまだ貧しいキューバの市民にとって、インターネットはほとんど非現実の出来事にも等しい。こうして木で模造してみるほかには、電脳化社会を疑似体験できないというもどかしさが、バロッソの作品に一抹の悲壮感をにじませているともいえよう。しかし、工作的な手作りへのこだわりから、おのずと染み出してくるのは、むしろ泰然自若の感さえ与える表現のどっしりとした構えの大きさではなかろうか。 それは野太いユーモアや風刺を交えながら、電脳化社会の無機質さを鮮やかに相対化してみせているようである。素朴に徹したバロッソの作品を前にすると、瞬時に欲しい情報や画像を得ようという速さに基づく価値観は、何とあざとく無力に映ることだろう。初の来日展。1971年生まれ。 22日まで、東京・神宮前5の51の3、プロモ・アルテ ラテンアメリカンアートギャラリー(03・3400・1995)




■読売新聞(夕刊)/2003年4月17日(木)/菅原教夫氏

葉巻、ラム酒、カストロの社会主義・・・キューバというと、イメージするのはこんなところ。しかし、美術界には熱心なキューバ現代美術の愛好家たちがいて、その人たちがぜひ日本に紹介したい作家がいると実現したのが本展である。  会場に入ると、どことなく和んだ空気を感じるのは、木版画のせいだろう。木版画はかの国の伝統的な美術だそうだが、壁作品を眺めると、版木がそのまま作品に用いられているのが興味深い。パソコン、眼鏡、葉巻入れ、携帯電話、ロボット・・・。いずれも文字や風物を彫り込んだ版木を組み立てて作った作品は、デザインが一風変わっているうえ、手動ハンドルが付いていて、回してみるとプリントされた紙の画面が少しずつ動いたりする。  また、携帯電話にはハサミや缶切りなどがセットされていて、機能が一層広がった。と言いつつ、しかし待てよと思い直すのは、その組み合わせがどことなくユーモラスだからに違いない。  「第三世界のインターネットカフェ」とタイトルにうたうように、ここにあるのはローテクの世界だ。キューバではパソコンがまだ一般に普及していない。その意味ではハイテク文明に乗り遅れたが、しかし、バロッソの作品を見ると、いたずらに焦ることなく、電子機器が推進するグローバル社会の正負両面を押さえながら、自国社会のスローな時間を楽しむ風情が伝わってくる。  そう言えば会場中央に食卓を設け、皿置きのシートに自作の木版画をあしらった様子には、先端的な美術が失った、生活の中にある美術の喜びも感じられる。  一番の大作はロボット。ロボットもまた未来社会を彩るはずのものだが、本作では、作者自身が中に入って動かすというのがやはりローテク。「第三世界のインターネットカフェ」は、木の温かみと素朴味あふれる癒し系の場所だった。  1971年生まれ。  22日まで、東京・渋谷区神宮前5の51の3、プロモ・アルテ ラテンアメリカンアートギャラリー(03・3400・1995)。



■朝日新聞(朝刊)/2003年5月1日(木)/大西若人氏
"最先端人間が"アシモと対面 キューバ美術家の「製品」
歩き、手を振る木製ロボ・・・実は「木ぐるみ」

ホンダのハイテク二足歩行ロボット「アシモ」とキューバで生まれたローテク木製ロボットが、ご対面--。でもなぜか、木製の方はギシギシとすり足で動きがぎこちない。実は、美術家アベル・バロッソさん(31)の作品で、中には作者自身が入っていた。「着ぐるみ」ならぬ「木ぐるみ」だったのです。  東京・青山のホンダのショールーム。トイレで「着替え」た01年製ロボット、その名も「最先端人間」がきしみつつ現れる。歩幅を広げすぎたのか、木製の部品がはずれた。その場で修理をして、やっとアシモが待つステージに。なめらかに歩みよるアシモが英語で話しかけると、最先端人間も少し手を上げる。あとはアシモが見守るばかりで、両者のギャップが笑いを誘う。最後は互いに手を振りあった。  「アシモは洗練されていますね。」バロッソさんが本物のロボットを見たのは実は初めて。「つまり、最先端人間は全くのオリジナルなんです」  バロッソさんは、木版画の版木を使い、パソコンなどを模した立体を作ってきた。今回の出会いも、東京で個展を開いたのを機に企画された。  「キューバではパソコンはとても高価。だからあり得ないような最先端の表現を、と作ってきたんです。そんなアイロニーもはらんでいる。  体の表面は版木。印刷すれば同形の紙のロボットが生産されるしくみだ。版木の絵は最先端人間ができることづくしになっている。「銀行の機能もあるし、車も運転できる。本当のロボットにも、そこまでは絶対出来ないだろう、という、これも皮肉なんです」  最先端人間は15カ国語が分かるとか。「うーん、まだサウンドシステムがないんだ。次回作には可能性があるけどね」