キューバの個性としてのアフロキューバ文化
文・工藤 多香子(キューバ文化研究)

Nikkei Art 1998年7月号より

ハバナ市の中心から20分ほどのところに、あたりに生い茂る木々の自然と対照をなして近代的な建物がたっている。国際会議場である。一年中さまざまな国際会議を開催しているこの場所には、国外から多くの訪問客が集まってくる。この会議場の2階ロビーの壁に、丸や矢印などがさまざまな直線・曲線と組み合わされた模様のようなものが布地に描かれ、数点飾られている。一見、ユニークな美術作品とも思えるこの奇妙な模様は、実はアバクアと呼ばれる男子秘密結社の儀礼で用いる、象徴的意味をもった記号である。

「未開」の習俗から審美的価値へ
アバクアとは、現在のナイジェリア南東部にあたる地域の風習を元に、19世紀以降キューバの黒人奴隷、自由黒人の間で発展した秘密結社である。成人男子のみからなるメンバーは、結社に対して盟約を立て、仲間と協力することを誓う。そして、独特の装束を纏った踊り子の舞を伴って、神話に基づいた儀礼を実施することでメンバー間の結束を確認し合うのである。アバクアに加わっていたのは、主としてアフリカ系下層労働者、特にハバナ市などの港湾労働者であった。この秘密結社は革命後の今もいくつか存在している。

 コロンブスの「発見」以来1898年まで、キューバはスペインの植民地っであった。それ以前に安住していた島の原住民は、植民地化が進むとともに、過酷な労働、疫病などが原因で絶滅していった。そこで原住民に替わる新たな労働力となったのが、アフリカ大陸からの黒人奴隷である。キューバ経済の中心であるサトウキビ・プランテーションの主要労働力として、黒人奴隷の導入は19世紀後半まで続けられ、そのころアフリカ系人口はキューバ全人口の半数以上を占めるほどであった。比較的近年まで大規模な奴隷貿易が続いたキューバで、アフリカ起源の文化が現在も継承されているのは不思議なことではない。その代表格が、先のアバクアと、現在のキューバ人が信仰する二つの多神教、サンテリーアとパロ・モンテである。
 
ところで、京都にある日本の国際会議場を例に出すまでもなく、外国人が多く集まる国際会議場は、自由の文化を披露する恰好の場となる。いわば国の顔ともなる国際会議場にアバクアの象徴的記号を飾るということは、その記号をキューバの文化的個性として捉えていることを物語っている。しかし、アバクアをキューバの個性とする認識は決して古くからあったのではない。むしろ反対に、動物の供犠や憑依儀礼を行うサンテリーア、パロ・モンテそしてアバクアは、今世紀初頭まで、犯罪の温床となる「未開」の習俗として警察から迫害され、常に社会の周縁に追いやられてきたのである。
ところが、ヨーロッパでプリニティヴ・アートへの関心が高まったのを受け、アフロキューバ主義などと呼ばれる芸術運動が1920〜30年代にキューバで盛んになると、状況は一転した。キューバに伝わるアフリカ起源の文化が、審美的な価値のあるものとして急速に注目され始めたのである。アバクアやサンテリーアは生命あふれる音楽や神秘的な造形の宝庫とみなされるようになった。さらに、キューバを代表する民俗学者フェルナンド・オルティスが、キューバ文化をアフリカとスペインとの混血であると論じたことも大きく影響した。もはやアフリカ起源の文化は恥ずべき風習ではなく、キューバ文化の誇るべき個性となったのである。そしてアフロキューバ文化という言葉が定着したのもこの頃だった。しかし、この評価がアフリカ系キューバ人に対する社会的評価の改善へと向かうことはなく、あくまでの審美的領域に限られていたことは付け加えておくベきだろう。

キューバ革命以降もアフロキューバ文化の位置づけは変わっていない。たとえば、革命後に創立された国立民族舞踏団は、アバクアやサンテリーアの神話や儀礼を舞台化し、上演することで、アフロキューバ文化がキューバの個性であるというイメージを国内外に普及している。美術の世界でも同様である。現代キューバ美術を代表するマヌエル・メンディベがサンテリーアを主題にした作品を描いていることは有名だし、日本にも紹介されているネルソン・ドミンゲスも、アフロキューバ文化を象徴的に取り入れている。彼らのような大御所ばかりでなく若手作家の間でも、アフロキューバ文化を主題に盛り込むことは、キューバらしさを表現する一種の常套手段となっている。もちろん、美術作品の主題がアフロキューバ文化へと傾斜しすぎることに批判的な人々がいないわけではない。また、本来の意味を無視したまま、宗教が芸術表現に濫用されることに警戒心を抱く者もいる。しかし、国家ぐるみでアフロキューバ文化を評価し、奨励するという土壌に加え、国内にはエキゾチックなものへの期待がある以上、美術作家たちはアフロキューバ文化をキューバらしさを切り札とした作品を描き続けるだろう。そして、それと並行して、アフロキューバ文化は審美的な評価としてキューバの国内外に流通するのである。

 ベルキス・アヨン、1991


 

 

 


サンチャゴ・ロドリゲス 1996


エドアルド・ロカ チョコ 1997

ネルソン・ドミンゲス 1998


マヌエル・メンテイヴェ  1996